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9.音楽の形と、料理の音色 【マジックリアリズム】

この街で最良の居心地を誇るカフェバーにて。

便利でスピーディーな時代の象徴、インターネットの動画サイト。
僕は60年代や70年代のプレイリストに浸る。

「イヤホンなんてしなくていいのに。それ、今晩のBGMにしようか」

マスターが言った。
こざっぱりした黒髪ショートのヘアスタイルに、生成りのショートエプロン。いつもと同じ低いトーンの声。

「いいの?ドレスコードみたいのとかないの?ドレスコードっていうか、曲のタイプっていうか」

「ないよ、とくには。私がいいなって思ったらOK、ポップスでも、レゲエでも、ハウスでもなんでも」

「この時代の、身悶えるような想いの詰まったロックが好きすぎる」

「うん、わかるよ。いまのアーティストたちにも十分に影響を与え続けてる。The Beatlesも、Eric Claptonも」

軽快なリズムとは不釣り合いといってもいいほどの、含みを持たせた歌詞。生死を思わせるキーワード。その響きの奥からは自由への渇望、存在の主張、愛と平和への意志が、はっきりと感じられる。

「美味しい海老を仕入れてあるよ。フリッターでどう?今日の晩ごはん」

「それにします!なんか、いつも同じ金額でいいの?ほとんど毎日来ちゃってるし」

「もちろん。毎日来てくれるなんて、もうすっかりお得意さんだしね」

私も話していて楽しいし、という雰囲気が十分に伝わってきて、言葉で言われなくても僕は安心できた。言葉にしてしまえば、僕が来ないといけないような気持ちになるだろうことを、この人はよくわかっているのだろうと思う。

「ところで、ひとり暮らしはどう?日本では寮だったんだっけ?」

「うん、たったの3年だけどね。楽しかったよ、気のいい人たちばかりだったし。でも今のほうがいいかな」

「楽?」

「うん、はじめはオバケとかいたらどうしようって思ったけど、大丈夫。どんな格好でいてもいいし、休みの日には好きな時間に起きられるし」

「オバケ怖いんだね。この店には前から…」

「大丈夫!聞かない!」

「OK、フリッター定食作ってくる」

マスターはキッチンの奥に向かった。揚げ物は奥でするらしい。ドリンクや、簡単なおつまみは、いつもこのカウンターの向こうで喋りながら作ってくれるけれど、火を使うときにはオーブンやコンロのあるキッチンを使う。
カジュアルなように見えて質のいい西海岸系の家具や、歴史を感じさせるアンティーク調の内装。
キッチンとバーカウンターを仕切る短めのカーテンは、可愛い感じのチェック柄。そういうところにマスターの素朴さが表れている。
海老フライでも天ぷらでもない「フリッター」がワンプレートで運ばれてきた。カラフルなガラスの豆皿に入ったオーロラソースは、少しだけ酸っぱく、ほどよく甘い。ヨーグルトとトマトソース以外に、スイートチリソースが隠し味になってることを、僕は知っている。そのピンク色と、フリッターの黄色と、フリルレタスの黄緑色、紫キャベツのパープルで、まるで虹が架かったみたいに鮮やかなプレートだ。子どもも喜ぶわかりやすいポップスの奥に、大人向けのメッセージが込められたみたいな一皿。コーンとマイクロトマトがキャンディみたいに散らばっているのもいい。 それはまるで、速く弾くピアノの高音。

「マスター、なに色が好き?」

いくらでも食べられそうな口当たりの軽い揚げ物を頬張りながら、僕は聞いた。

「突然のシンプルな質問だね、英語の例文みたいだ」

「ねえ、なに色?」

「色は全部好きだよ、いろんな色があるのが好きかな」

「僕もカラフルなのが好き。子どもっぽいのかな。思春期にはありあまるエネルギーを抑えようとしてモノトーンを好むってなにかで読んだような」

「私たちが見てる色はみんな、光の色なんだよ」

「光の色?白じゃないんだ」

「暗くなると、色がわからなくなるでしょう。色は光なんだよ」

「形は手探りでもなんとなくわかるけど、色はわかんないね」

「うん。でも、わかることもある」

「どういうこと?」

「いま、トニーくんが食べてる海老はどんな味?」

「ぷりっとして、海の味?…陳腐な言い方」

「丸みがあって、端のところが少しだけ尖っている。衣も一緒に食べると、なんていうか地層的。全体的には横長になっていって、縦の振れ幅も大きくなる」

「なにそれ?」

「色でいうと、クリーム色、黄色、わずかにグレー」

「どういうこと、どういうこと?」

「あえて言葉にするなら、そういう感じ。味見は必要ない」

「味がそんなふうに感じるの?」

「味なのかな。でも、味見をしないで感じるものだから匂いなのかな。それとも視覚?」

「よくわかんないけど、こんなに美味しいのが出来上がってるんだから、それは頼りにして正解なんだよね、きっと」

フリッターをソースに浸けて口に含むと、螺旋状の高音が鳴った気がした。

「これかな」

その瞬間の感じを伝えるとマスターは言った。

「それかも」

「わざわざ言うこともなかっただけで、ある気がする。そういうの」

「トニーくんにとって味は音なのかもしれないね」

「マスターは形」

音楽は美味しくて、料理は形がよいし、香りの肌触りは極上。
この店で堪能できるのは、味だけじゃない。

そういえば、この前のライブのときに感じたのは…

To be continue...

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