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不死鳥の追悼

いくつも、何人も見送ることになった今年。
青春時代を彩ったアーティストの一人がまた逝ってしまった。
懐かしくなってその曲を聴いていると、追悼公演みたいな夜がやってきた。
歌詞は舞い戻る渡り鳥のように、正確なコースを辿る。
身体の中心にはっきりと深く、深く打ち込まれた楔。
その剣先から絶え間なく滲み続ける豊潤なエネルギー。
時を超えて力をくれる、音楽の魔法。
どことなく90年代を思わせるメロディーラインもまたよし。

どんな思いでこの詞を紡いだのだろう。
バンドそのものに入れ込んだわけではなかったけれど、いい曲だと思う。
思い切り主観で殿堂入りさせてる小説も、曲も、姿が見えないくらい遠ざかったころにぐいっと引き寄せてぱくっと飲み込んでじっくりゆっくり咀嚼すると「なんだこの味は!」っていう驚きと幸福に満ちた文化的な時間を感じられる。

同じように自分の書いたものを小さな鍵穴から覗いてみる。
顕微鏡で見てるみたいに極小部分しか見えない。
引き下がって俯瞰するには細かすぎて輪郭しか見えない。
カメラの得意技、引いて、引いて、望遠レンズでピントを合わせてみる。
こんな色なんだ、こんな形で、こんなふうに動くんだ。
なかなかいいじゃない、って思った瞬間、足元を見て立ちすくむ。

たぶんカラクリはこうだ。
鳥は落ちることを考えながらは飛ばない。
飛べると強く信じているわけでもない。
本能と生命の仕組み。
翼を持ち、羽ばたくようにできているのだ。

その羽根を動かして、気流をつかまえて。
もう一度。
何度でも。
自由に、と意識したらもう自由じゃないから、もっとそのままに。
そのままに、と言葉にしたらもうありのままなんかじゃないから、もっと力を抜いて。
力を抜いて油断すると、突風に持っていかれるよ。
どうやって飛んでた?
考えないんだよ、考えないように考えてもだめだよ。
じたばたして、もがいて、空を見上げてはうなだれて。
どちらかというと、気づいたらこぼれてた鼻歌、いつの間にか乗れてた補助輪のない自転車、文字に起こすペンよりも速いキーボード。そんな感じかな。
ペンギンじゃない、キウイでもない、絶滅してないからドードーでもない。
始祖鳥じゃない、プテラノドンでもない、コウモリでもモモンガでもスズメでもなくて、
誰もがみなたとえようのない固有種。
FLY HIGH!!!

夜中のひとり追悼コンサート。
行き詰まりの片鱗が街角のカフェに充満。
羽毛もまばらなヒナだったころの応援歌みたいな一曲にインスパイアされて、
なんかちょっと思い出せそうかも。
遺す言葉はこんなふうに、思いもよらない場所で、想像をこえる勢いで、力を及ぼす。
ありがとありがと、ミュージシャン。
ありがとありがと、表現する人々よ。

このくだりがとくにいい。

♪ あたりまえの...


同じ時代を生きてよかった、そう思える仲間だらけだな、この世界は。

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