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東大生の多くは親から「勉強しろ」と言われたことがないのはなぜか?

よくこの話は聞きますよね。

普通に考えれば、
東大に行く子どもの親は、
高学歴、高収入の家庭が多い
ということも関係するとも考えられます。

親がお金を持っていれば、
子に教育費(塾や予備校、私立中高一貫校など)をかけられる。

一方、親が貧しければ子の教育費を出してやることができず、
成績も悪く、低学歴になる。
結果として低所得となり、格差が固定する。

実際に我が家は中学歴、中収入のごく一般的な家庭でした。
しかし、都会と違い、地方は塾も予備校も限られます。
ただ、子どもは勝手に勉強して東大に行ってくれたので、
大したお金はかかりませんでした。

しかし、それだけでしょうか?

相関関係はあっても必ずしも因果関係とは限らないのです。

大きく違うのは、親の思考力の差です。

親が子にかける言葉や親子の会話、
あるいは会話のテーマそのものといった
日常生活の中での言語体験に大きな違いが大きいのです。

聞いた話では、多くの医者や弁護士の人たちは、
子どもと一緒にリビングで勉強しているそうです。
親は専門書や論文などを読み、子は学校の勉強をする。

そうした家庭では子はよく親に質問し、
親も子によく質問するようです。
学校では質問(疑問を含む)は嫌がられやすいですが、
知的好奇心も探求心もまずは
「なんでだろう?」「どうなっているのだろう?」
という質問です。

幼児期から、「なんで」という質問攻めが多いのです。
ただ、これに対して、このような家庭では、
しっかりと答えてあげたり、なんでだろうねと
一緒に考えたりと、子どもとの距離感が密なのです。

しかし、低所得の家庭では、忙しさに紛れて、
忙しいからうるさいわねと、
あしらわれたりと子どもとの距離感が離れているのです。

親の思考力がしっかりしていれば、
低所得の家庭でも高所得の家庭と同じ対応はできるはずなのです。

高学歴な子が育った家庭では、
子に親の考えや価値観を押しつけたりせず、
親は子の意志や判断を尊重し、子を信頼し任せる傾向があります。

親による押し付けや理不尽なルールは存在せず、
家庭はほぼ「自由」かつ「放任」です。

放任というのは無視とか放置ではなく、
「好きなことをやりなさい」という没頭や
探求(つまり本人が選んだことに集中して取り組むこと)への尊重です。

東大に進学した学生のほとんどは、
親から「勉強しろ」などとは一度も言われたことがない
というのも納得できる話です。

学校では歓迎されない批判的思考を
家庭で補っているのだと思います。
かといって親は簡単には答えを与えず、
「どう思う?」と子に考えさせるようにしているようです。

子が自分の頭で考え自分で決断する習慣が養われているので、
「自分で決めていい」ならば、
自ら情報を集め、本人の価値観で判断しようとするからです。

ところが、親の思考力が低ければ、
「お前にはムリ、やめておけ」
逆に親が子に厳しくして子の意志を抑え込んだり、
親が先回りしてレールを敷いたりすると、
子は自分で決める必要がないので
自分で考えることもしなくなり、
親に言われたとおりにやればいいとなります。
こうした家庭環境が「指示待ち人材」を量産しているのです。

こうした「思考力の格差」つまり「思考格差」が
結果として学歴格差や所得格差を生むわけで、
親の所得は「本質的」な要因ではないのです。

親の所得や学歴を問わず、
親が低学歴でも低所得でもあきらめる必要はなく、
子の意志を尊重すること、
親が子にかける言葉を適切に選ぶことが大切です。

そして何より、親が精神的に安定していること、
ガミガミ言わず穏やかな家庭環境を維持する、
親が読書や勉強している姿を見せる、
論理的な会話を心掛ける、
子が自分で考え自分で判断するよう促す、
挑戦を称える、失敗を許容する、
好きなことに没頭できるようサポートする。

日常的に思考する習慣ができ、
高学歴になる(ないしは自己責任で自分の進路や生き方を選択できる)
というプラスのスパイダルになるのです。

その逆はと言えば、親の夫婦仲が悪い、
子どもの質問をめんどくさがる、
親が勉強や読書する姿を見せたことがない
(スマホばかり触っている)
なにか挑戦しようとすれば「お前にはムリ、やめておけ」
失敗を怒るなどしていれば、
子どもは委縮してしまい全てにおいて負のスパイダルになる。

以前書いたnoteも参考に

だからこそ、親は、現代と未来とを
理解しているのとしていないのでは雲泥の差。
だから親やはり勉強しないといけないのです。


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