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「死生観」がまるで変わる経験を父からプレゼントされたお話。

「人間の死亡率は100%です。」

これは中高年のアイドル、綾小路きみまろの核心をついた名言。

人も生き物である以上、生まれたからには必ず「死」を迎える。
それはとても自然なことなのだが、人はどうしても「死」にネガティブなイメージを抱いてしまう。

かく言う私もあるときまで、命の終わりである「死」を「自然なこと」だと受け止められない1人でした。

タブーにも近かった私の「死」に対するイメージは、父(義父)の死で大きく変わった。

今年の夏、私の父は84歳で旅だった。

父の癌が見つかったのは約9年前、私と夫の結婚式直後のことだった。
見つかった時にはすでに肺癌のステージ4で、手術ができないほどに進行していた。

がしかし、当の本人である父はまったくの無症状。
かといって知ってしまった以上、このまま癌を放置することもできない。

家族で話し合った結果、本人が望む「抗がん剤治療」を受けることになった。当時から統合医療に興味があった私達夫婦は、食事や生活習慣の改善などを提案して、いくらか取り入れてもらった。

父にとって、癌がみつかったことは余命宣告に等しい状態。

この事実を知った日から、「死」を考えない日はなかったと思う。
通院で抗がん剤治療を受け、なるべく体に良い食事と生活習慣を取り入れる日々。

そんな暮らしの中で父の心の支えになったのは、仲間と一緒にする麻雀と、寝食を忘れるほどに没頭した版画だった。

自分の病状や、未来の不安、死の恐怖を考える時間をなるべく減らし、今できることを心から味わい、楽しみ尽くしていた。

気がつくと、ステージ4の癌だったにも関わらず、9年もの充実した毎日を過ごしていた。

しかし、人間の死亡率は100%。

「お父さんが昨日からずっと目を覚まさなくなった。もうそろそろだと思う。」

そう母から連絡を受け、私たち家族はすぐさま飛行機に乗り、父の待つ夫の実家に向かった。

実家に着いて父のベットのそばに子供達と近寄ると、2日ほど意識が戻らなかった父が目を覚ました。

私たちが来るのを知っていて、待っていてくれたのだ。

すでに話すことはできなくなっていたけれど、しっかり目を開いて孫たちの顔、息子である夫の顔を確認していた。

するとその数時間後、父の脈が弱くなり触れなくなった。
顔が青ざめ、唇は紫になり、息も絶え絶え。誰の目にみても、お迎えがきているのがわかる。

「おじいちゃん!頑張って!!僕もちゃんと宿題をするから!」

号泣しならが、小学校3年生の孫が叫ぶのが聞こえたのだろう。

「愛する孫を泣かせてはいけないな。ていうか、宿題してないの?」

そう思ったのか、父は逝くのをちょっと待ってくれた。

脈はみるみるしっかりし、体も温かくなって、顔色も良くなり、呼吸もすっかり安定した。

不思議なことにそれから2日間、父の状態はとても穏やかだった。

長年連れ添った妻に耳元で語りかけられながら、水分補給をする。
看護婦である実の娘に綺麗にヒゲを剃ってもらい、体も拭いてもらう。
歯科医師である嫁の私が、口の中をすみずみまで清掃をする。
孫たちがベットに風船をたくさんくくりつけ、周りで走り回る。

こんなにも幸せな時間はないと思うほど、家族全員が充実した時間を過ごすことができた。

いつものように家族全員で朝ごはんを食べて、コーヒーを飲んでいた時のことだった。

父の体を拭いていたはずの妹が、ダイニングに急いで戻ってきた。

「呼吸の回数が減っていているから、もうすぐだと思う。みんなお父さんの部屋に集まって。」

父の状態が良いことにすっかり安心していた私たちは、驚いて父の周りに集まった。

父はとても穏やかな顔をしていた。
しかし、脈はどんどん弱くなり、呼吸の間隔が遠くなっていく。

家族全員が父の手を握り、体をさすり、感謝の気持ちを伝える。

全く苦しむことなく脈が止まり、最後に大きく息を吸って、父は亡くなった。

亡くなった瞬間、父の体はまるで蝋人形のように別物になった。それはまるで、父の魂が体から抜けたかのようだった。

そして、父の気配が部屋中に広がっていくように感じた。

「人間の肉体は仮の乗り物で、魂は決して死なない。」

たまに耳にするこの言葉を、私はこの瞬間に理解した。
周りを見ると、家族みながそれぞれ何かを感じているようで、父の死を誰も悲しんでいない。

みんな理屈では説明がつかないけれど、父がここにいることを感じていた。

父は最後の最後まで、私たちに「生きること」と「死ぬこと」が本当は同じであることを教えてくれた。

父は癌が見つかって以来、死を意識して生きてきた。
現状を嘆いたり、過去の行いを後悔したりせず、自分で治療法を選択し、今日どんなふうに生きるかを実践した。

その結果、とても濃く充実した時間を9年も過ごすことができたのだ。

父が寝たきりになったのは、亡くなる直前の2週間だけだった。
入院はせずに、訪問介護の医師や看護師の協力のもと、最後まで自宅で過ごした。

そして、私たち家族が羨むほどの「最高な旅たち」をしてくれた。

父が亡くなってもなお、私たちの日常に父は生きており、距離も時間も超えていつでも会える存在になった。

私は父と過ごした最後のわずか3日間で、死生観が大きく変わった。

生き様と逝き様は同じ。
肉体はなくなるけど、魂はなくならない。

この経験で、私は今までより死が自然なことに感じられ、受け入れられるようになった。

私もいつか確実に死ぬから、肉体のある今日という日を好きな人と好きなことをして過ごしたい。そして自分が死ぬ時に、「最高に幸せな人生だった」と噛み締めながら逝きたい。

そして、父が見せてくれたような、「見事な旅立ち」を私も経験したいと思う。














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