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NO MORE嫌がらせ,子連れママの護身術

「金髪ショートにして下さい」と美容院で告げた時。珍しい虫を見るような目をした美容師さんが、鏡に映っていた。

「本当に良いの?」
 美容師さんは、私の髪を手ですいて言った。やっとのことで到達した、念願の茶髪ボブだと知っての発言だった。
「良いんです。強くなりたいから」
 言ってみて、自分でもバカみたいだと思った。美容師という人種は、深入りしない方が良い話題を知っている。美容師さんは頷き、薬剤つくってくるね、と言い残して立ち去った。私は鏡の中にいる不機嫌そうなアラサー女性を見ながら、数日前の渋谷に入って行った。

 あの日は三歳の息子と一歳の娘を連れて、東急百貨店本店に行こうとしていた。友人の出産祝いを買うためだった。渋谷駅からデパートへはシャトルバスが運行しており、バスを待つための、ちょっとした小部屋もあった。番号が書かれた椅子が並ぶだけの狭いスペースだが、冷房が効いており、夏の日差しを避けるにはありがたかった。しかし足を踏み入れたのが、運の尽きだった。

 そこには七十過ぎのばあさんが、一番の席に腰かけていた。手という手に指輪を付け、首にはごてごてしたネックレスがかかっている。どこかの部族を真似て、魔除けでもしているんだろうか。こんな暑いのにスカーフをつけており、上流階級らしく見せたい庶民のいじらしさが感じられた。本人は洒落ているつもりなのだろう。ツンと澄まして座っている。

 息子が三番の椅子に腰かけた。ばあさんは嫌な目つきで彼を見て、言った。
「ちょっと。あんた二番目なんだから、二番に座りなさいよ」
 三歳の息子は、何が何だか分からない顔でばあさんを見た。そうして無視を決め込んだ。私は何度か彼に二番の椅子に座るようたしなめたが、彼は断固として譲らない。子供でも、神経質そうな人間の隣に座るのは嫌なのだろう。私たちの態度は、ばあさんの逆鱗を買ったらしい。ばあさんは私に向かって、怒りを込めて言い放った。
「ちゃんと子供を育てられないなんて! あんた東京の人じゃないでしょ!」

 私は時計と時刻表を見比べた。シャトルバスが来るまでに、十分はかかりそうだ。猛暑の中を歩くことは嫌だが、この不愉快な空間に居続けることはもっと御免だった。だから子供たちを連れて、外へ出た。渋谷はゴミ箱をひっくり返したような街だが、選択肢の多さという点では東京で一、二を争う。出産祝いは、別の場所で買うことにした。

 こうした出来事は、今に始まったことではない。ベビーカーで歩いていると、舌打ちされることは日常茶飯事だ。都営バスの運転手や乗客に嫌がらせを受けたことも、数知れない。彼らの気持ちを分からない訳でもない。なぜなら私も妊娠するまで、子供があまり好きではなかったからだ。

 誰にでも気に入らない類の人間はいる。例えば、気分転換のつもりで開いたSNSで「私、すごいでしょ」という幸せアピールを見かけたとする。投稿者は自分と対して変わらないはずだった、かつての同僚。まずい食事を出すレストランに座ってしまったかのような後悔を感じた経験は、誰もがあるだろう。しかし「今が満たされてないから、SNSに上げてるんでしょ? うらやましい! って言われたいんでしょ?」というコメントを残すようなことはしない。相手を悪く思うことは誰だってある。問題はその悪意を行動に移すか、移さないかなのだ。

 SNSの場合、知り合いに攻撃することは稀だ。ミュートすれば済むからだ。クソリプは自分と関わりのない人間に集まる。リアルに置き換えても、同じことが起こっている。あのばあさんも、私が赤の他人だから強く出て来たのだ。人は自分より弱いものをいじめる。つまり子連れだと舐められるのだ。なら、話は簡単だ。強くなれば良い。子供たちを守るために、強くならなければならない。中身も、見かけも。こうして私は、茶髪ボブを辞めた。

 髪を染めたことは、人生を大きく変えた。「人からどう思われるか」を重視していた生活からの脱却でもあった。銀行という職場で、髪の色が決まっていたことも大きい。しかし育休中なら、髪の色は自由だ。「茶髪ボブならママっぽいかな。良いお母さん、って感じするかな」と思っていたが、それでは子供を守れなかった。

 金髪ショートにすると私の背格好では、今まで着ていたロングワンピースが似合わなくなった。ラフな格好で、パンツスタイルが増えた。サングラスもかけることにした。しかし、まだ何か足りない。それは筋肉だと思うに至り、スポーツジムにも入会した。パーソナルトレーニングを申し込み、筋トレを週に二回行うようになった。いつの間にか街を歩いても、嫌がらせを受けることは少なくなった。余裕ができて、困っているお母さんを積極的に助けるようになった。「変わりたい」と願う人は、髪色を変えてみてはいかがだろうか。周囲の意見は、一旦置いておこう。なりたい自分に近づく、それを後押ししてくれるような色が、きっと見つかるはずだ。

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