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不倫小説の連載中に、抱えていた秘密

産後の女性はホルモンによって性欲が減る。しかし子どもが小学生くらいになると性欲が正常に戻る。みんなどう処理しているか不思議でたまらない。しかし女性同士で性の話はタブーだから、この謎は一向に解けない。男性が性欲を持つことは「男らしさ」の象徴して良しとされているけれど、女性は「いやらしい」とされているからだ。

先日、夫が高校の同級生との飲み会に参加していた。共通の知人がいて、新婚旅行でハワイに行ったことを知っていた私は「ハワイ、どうだったって?」と夫に聞いたら「ベランダで立ちバックでしたらしいと」と返された。ちなみに夫の高校は男子校である。あの頃に彼らは精神的な成長を止め、ひたすら背だけを伸ばし続けたのだろう。

彼らの残念な成熟度合いはさておき、そんな話をできる相手がいることを羨ましく感じた。私にはいなかった。人生でありがちなのは、他人と会話がされないことについては、いつまでも間違った方向に進み続けてしまうことだ。で、私もそうなった。

子どもが小学生に上がり、私の性欲がピークを迎えていた頃、夫はあまり家にいなかった。私はpixiviで二次創作のエロ小説を見て寂しさを紛らわしていたのだが、素人の書く文章だからか、どうも没入できない。夫婦ネタを見かけると「私は一体、何をしているんだろう」と現実に戻されてしまうせいでもあった。快楽よりも虚しさが勝ってしまうのだ。

しかし独力では知識も経験も不足しているせいか、自身を燃え上がらせるための火力が、妄想力が足りない。いつもの体位とありきたりな行為で終わってしまう。これは仕事にも深刻なダメージを抱えていた。当時はWebメディアで不倫小説を連載して、毎回お色気シーンを入れていた。それがマンネリ化し、PVも伸びなくなっていた。

私は訓練をすることにした。道端で見かけた男性について「この人はどういうセックスをするんだろう」と真剣に考えることにしたのだ。しかし私は家で仕事をしているから、男性と会う機会がない。そこでサッカーの送り迎えに来るパパたちが、格好の餌食になった。

小学生の長男はサッカーを習っていて、週に四日は練習があった。スポーツの送迎はパパが来るケースが多い。習い事を始める際にママが「私は一切関与しないから、絶対にあんたが面倒見てよね」となるケースが多いからだ。うちの夫は何もしないので、私が送り迎えに行っていた。

そこでパパたちと会い、たまに話しもしたが、何を話したかは覚えていない。脳内ではイケナイことを考えていたからだ。断っておくと、自分に置き換えていたわけではない。「奥さんと、どういうプレイをするんだろう。顔はめちゃくちゃいかついけど、実はドMなのかも」といった想像をするのだ。

私は色々と思考を巡らせるうちに、ある結論に至った。それは「素晴らしいセックスは存在しない」ということだ。それよりも「上司と部下」「不倫関係」といった関係性だとか、モラハラ夫に無視されていたら慰めてもらったとか、ストーリーの方が重要なのだ。行為自体に意味はない。生殖が目的なら鮭のようにメスが産卵をして、その上にオスが精子をかければ済む話だ。人間がそうでないのは、本番の前後にあるシチュエーションに意味があるからなのだ。ハッとさせられた会話とか、こんな場所でするの?とかが、より興奮させるエッセンスになるのだろう。

私はこの結論に満足し、行為のバリエーションを増やすための訓練を終えた。つまり、この手の妄想はしなくなった。不倫小説で毎回必ず入れていたエロシーンを削り、心のふれあいに重きを置いて書くようになった。三人を出産してメスとして終わりに近づいているせいか、年を取ったせいか、自身の性欲もなくなってきた。

しかし、今でもあのパパたちと道端で遭遇するとドキッとしてしまう。あんなことやこんなことを勝手に考えていたから、後ろめたくなってしまうのだ。どうか彼らの中に、他人の考えてることが読めるエスパーやサイキックがいませんように、サッカーのパパ飲みで「あいつ、俺らのことヤバい目で見てたぞ……」と共有されることがありませんように、と祈るばかりである。

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