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「イヤ」が言えないママ

月曜日、1週間で最も救いようのない曜日。だいたい朝には小学二年生の長男が暴れる。「学校へ行きたくない!アフタースクールも嫌だ!」とランドセルを投げて、私を蹴る。

「昨日あんなにアフタースクールのBBQで楽しそうにしていたじゃねえか!」とツッコミつつ、攻撃をかわしながら話を聞いてみると「クラスのみんながいじめてくる」とのこと。図工の時間に「へたくそ」と言われたり、国語で音読の時に唾が飛んでしまって笑われたり、クラスメイトにされたことが許せないのだそうだ。

これらは今に始まったことではない。担任の先生に相談したことがある。でも先生からすると大したことはないから、注意にとどめていたらしい。「その都度、嫌だったら教えてね」という言葉をかけてもらえたし、協力的ではあるが、何か解決したわけではない。それもそうだ。これは先生というより、彼の問題なのだから。

今朝も長男がいつものように私のことをガンガン蹴りながら「学校に行きたくない!」と泣いていた。ランドセルを廊下に投げ捨てて寝室に走っていたと思ったら、ベッドに行き、毛布にくるまってしまった。あぁ、やっぱりこの子は私の子だわ……と感じた。

彼の気持ちは痛いほど分かる。私もかつては幼なじみから「自分以外はみんな敵、って顔をして歩いてるよね」と指摘されたことがあったから。あの頃は誰かに傷つられるのが嫌で、集団を過剰に恐れていた。でも振り返ってみると私の周りは、全然敵ばかりじゃなかった。

「あやちゃんは頑張りすぎていて、たまに心配になる」と声をかけてくれるクラスメイトもいたし、何回も追試になってしまう私を優しく励ましてくれた数学の先生もいた。ブログが炎上して落ち込む私に「本音を言うと、だいたい狂ってるって思われるよ。でもそれでも友達でいてくれる奴とだけ付き合えば良い」とアドバイスをくれた同級生もいた。そしてラスボスにしか見えてなかった両親は、誰よりも私のことを考えてくれていた。

それらを思い出しているうちに、気が付くと「あの頃の私」に話しかけるように、長男に話しかけていた。

「分かるよ。ママも小学校も中学校も、全然行きたくなかったから。高校になったら少しはマシになったけど……」

長男は毛布から顔を出して、私のことをじっと見つめた。「いつものようなウザい説教でもないし、行けよコラ!という命令でもないな。一体何を言い出したんだ?」という表情をしていた。

「でも行きたくないって、ずっと言えなかったんだよ。これを言ったら親が嫌な気持ちになるなと思ったし、学校でうまくやれていないって知られるのが恥ずかしかったから」

人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、彼は私の話に興味を持ってくれたようだ。「それで、どうしたの?」と、毛布から抜け出してベッドの上に座りなおした。

「行きたくなかったけど、我慢して学校に行き続けたよ。大学は自由に休めたかな。会社も行きたくなかったけど、行きたくないって言えなくて、ずっと行ってた。だから学校に行きたくないって毎日暴れられる長男くんのこと、ママはすごいと思う。ママは長男くんくらいの頃から、イヤなことをイヤって言えなくなっていたから……」

長男はじっと毛布を見つめて、何かを考える素振りを見せていた。「保健室か図書室なら行ける?」と私が聞くと、彼は頷いた。「でも教室に行くのは嫌だよ」と彼は言い、私は「分かった。じゃあ先生に言っておく」と返した。彼は黙って寝室を出て、廊下に転がっていたランドセルを拾い、無言で家を出て行った。

子育ては本当に難しい。何が正解か全く分からない。学校なんて行かなくても良いという価値観も最近は出てきている。昨日のアフタースクールのBBQでも「子どもが学校に行きたくないと言ったら、午前中はプレスクール(併設しているアフタースクールの幼児部)に行かせている」と教えてくれた親もいた。勉強もできるし、自分より小さい子とではあるけれど集団生活は送れるからとのこと。子どものことをよく考えているな、と感心した。

私は長男に「休みたい」と言われると、家にいるとゲームと動画の音がうるさいから迷惑だなとか、仕事ができないから嫌だなとか、用事があるから困るなと、主語を「私」で考えてしまう。でも、子どもにとってはそんなことは関係ない。行きたくないから行きたくないし、イヤなものはイヤなのだ。

イヤだと言える性格のまま、彼には大人になって欲しいと思う。イヤだと言えることは、私が一番苦手なことで、今までずっとやりたくても、できなかったことだから。

彼のそばにいれば、私もいつか「イヤ」だと言えるようになるかもしれない。近くに良い先生がいてくれて良かったな思いつつ、彼の小さくなっていく背中をベランダから見送った。

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