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学校改革に必要なのは、人権意識とリーダーシップ【書評】

今年の1月に中学生の息子が不登校になって以来、いろんな本を読んだり、いろんな人と話をしてきた。

不登校仲間の友人に教えてもらい読んでみたこの本は、とても良かった。

著者は、公立中学校の校長先生。

宿題もやめた。
定期テストも廃止。
制服も、クラス担任制もやめたらしい。

公立中の校長先生という公的な立場だと、できる改革は限られてしまいますよね。どうやってやってのけたのでしょうね。

キーワードは、人権意識とリーダーシップだ。

この本を読みながら感じたのが、わが子の所属する公立中にはない「安心感」だった。

「どんな生徒であっても人として尊重するべき」という一貫したポリシーを感じた。そんなの当たり前のことだけど、少なくとも息子が所属する中学校の先生にはない意識だ。

息子もそうかもしれないけど、私が中学校に違和感を覚えるのは、人としての人権がないがしろにされている点だ。

中学校に限らず、私がどこかで怒りや悲しみを覚えるのは、人としてのリスペクトが欠けている場面なのだ。

人権意識が欠落していて、学校以外の社会を知らないような先生たちが、昭和じゃなくて令和を生きる子どもたちを「指導」しているのだ。

6月に書いた以下の記事についても、人権が尊重されていないことがとても残念でならなかったのだ。

書評の話に戻ると、この本の著者の工藤勇一先生は人権の意識が高くて、リーダーシップも兼ね備えているから、「学校を変える」という改革ができたんだと思う。

きっと、工藤先生の根っこには、生徒への信頼、保護者への信頼、社会への信頼があるんだと思う。

信頼されていない人は、誰かを信頼することはできない。

息子の中学校の先生たちは、子ども一人一人の方を向いているのではなく、管理職や教育委員会の方を向いて仕事をしているのではないだろうか?

そうしてしまっているのは、管理職や教育委員会の仕事の成果であり、日本の社会全体を表していると思う。

不登校状態になる子どもは、学校で違和感を感じる子が多い。

「なんか変だよね」

私なんかは、中学時代に違和感や不満をたくさん感じていた方だけど、それを言葉にしたり、「学校に行きたくない」と親に言ってみるような行動力と勇気は持ち合わせていなかった。

自分の感情にふたをして、やり過ごすことができたから。
違和感を感じても、環境に流されることができたから。

だからこそ、違和感を感じて行動できる不登校の子どもたちはすごいと思う。

そういった違和感や困りごとを言葉にして伝えていくことで、社会が良くなっていくのではないかと思う。

「学校の「当たり前」をやめた。」では、私が抱えてきた怒りや悲しみを代弁してくれた気がして嬉しかった。こういった人権意識を持って、教育現場から社会を変えようとしている先生がいることが、嬉しかった。

「不登校」の対策が、各所で叫ばれているけれど、特別なことは必要ないと思う。

不登校であってもそうでなくても、老若男女、障害があってもなくても、どんな人でもリスペクトされる社会を作っていけば良い、それだけじゃないかなぁ。

不登校の子どもを大切にすることは、すべての子どもを大切にすることだと思う。

「中学生らしさ」なんて、何の役にも立たない。
必要なのは、「その人らしさ」だと思う。

子どもに関わるすべての人が、「その人らしさ」を大切にできるような意識をもっともっと持てたら、社会が変わるんじゃないかなぁ。



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