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仕事に生きがいや喜びを感じないことが許されない時代

松下幸之助 一日一話
11月 4日 職種と適性

文化が進むと職種が増え、自分の好む職種というものが、だんだんと選びやすくなってきます。そしてそこに生きがい、働きがいが求めやすくなってくるだろうと思います。しかし、今日のところは、まだ十分でなく、この仕事はあまり自分には適していないが、まあこれで甘んじていようかという場合もあると思います。けれども昔からみると、非常に恵まれています。

そう考えてみると、今日に生きるわれわれは、非常に幸せだと思います。自分の好む仕事を求めやすい時代です。こういう時代に生まれながら、もしも仕事に生きがい、喜びを感じないというのであれば、それは原則として許されないことになると思うのです。

https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/founders-quotes.html より

自分の好む仕事を求めやすい時代に生まれた私たちは、なぜ「仕事に生きがいや喜びを感じないことが原則として許されない」と松下翁は仰っているのでしょうか?「自分で選んだ仕事でありながら、生きがいや喜びを感じないのはけしからん。責任を持って嫌々にでもその仕事をやり通し、生きがいや喜びをみつけなさい」ということではありません。

「仕事に生きがいや喜びを感じないことが原則として許されない」とは、換言すると「嫌な仕事をしてはいけない時代である」ということです。どうしても嫌な仕事をしていると仕事が死んでしまうことになります。つまりは、原則として「仕事を死なせてはいけない時代である」ということになります。選択肢が多い時代であるからこそ、「面白い、好きだなと思える仕事」が見つかるまで”自らで行動し続ける努力”が求められているということです。即ち、この「行動する努力をしないこと」が原則として許されない時代であるということです。

松下翁は著書「人生と仕事について知っておいてほしいこと」にて具体的に以下のように仰っています。

…仕事というものは、ときにいやな感じもするものです。また非常に自分に合わん仕事をしますと、疲れを覚えたりいろいろいたします。それがために頭が痛くなってくる、きょう早退きをしないといかんというようなことも、私はあろうと思うんです。それに反しまして、その仕事に面白味を感じたならば、少々頭が痛いのも治ってしまうということもまた、これ事実だろうと思います。自分がその仕事に面白く取り組んでいるかどうかということが、きわめて大切なことやないかと思うんです。

そういうことを考えてみますと、どうしてもいやな仕事はしてはならん。それはやはり替えてもらわないといかん。そして、面白いなと、好きだなと思う仕事に取り組まないといかんと思います。そうしないと仕事も死んでしまうし、皆さんも困るだろう。だから、そういうことは遠慮なくお考えになっていいと思うんですね。そうしてみんなが、それぞれ面白く仕事をしていく、その力が凝結したときに、非常に大きな働きとなって出てくるんやないかと思います。

私どもは、どうすればみんなが面白く仕事をやっていけるか、いわゆる適材適所に立って仕事ができるかということを考えないといけない。ある集団とある集団を比べてみますと、ある集団はおおむね適材適所に立っている、しかしある集団はそれに反して適材適所に立っておらないという場合には、大きな差が出てきます。そうでありますから、多くの従業員の方々にできるかぎり適材適所に立って、面白く仕事をしていただく、そういうことが会社経営の大きな問題やないかと思うんです。

そういう大きな問題は、経営者の立場にある者が考えることは当然ですが、しかし、ひとり経営者にのみそれを要望しても、私はこれはいかんと思います。経営者も考えますが、皆さんもみずからそういうことを考えて、親切な意味で提案をされなくてはならない。親切な意味でそれを要望されなくてはならない。そしてみんなの力で、なるべくみんなが適材適所に立ちやすいようにやっていく。

自分は課長職をやっているが、課長職よりも課員としてやったほうが自分は生きるなという場合も、私はあろうと思うんです。そういう場合には、「自分は課長の仕事をしているけれども、どうも課長の仕事は自分には適所でないと思う。適職でないように思う。だから課長を辞めたい。平社員としてやったら、ぼくは働くんだ、また働けると思う」と、そういうことを提案なさる必要があると思います。

しかし、日本では、そういうことはあまりないんですね。これはほんとうに仕事と取り組んでいるかどうか、仕事そのものを理解し、その仕事に尊さを感じているかどうかによって、そういうことが起こってくると思うんですね。…
(松下幸之助著「人生と仕事について知っておいてほしいこと」)

更に松下翁は、人事を経営者や担当の部署に委ねるのではなく、主体的に「自分で自分の人事をする」ことの大切さについて以下のように仰っています。

先日、社内で広告担当員を募集したところ、誰も志願しないというのです。これは意外でした。聞くところによると、そういうことを会社に対して言いにくいのではないかということでした。もしそうだとすると、会社がその人の適性を見つけなければならないということになってきます。が、社員が多くなると、人事部がいかに懸命であっても、一人ひとりの性格を知って適切な人事をすることは、なかなかできないだろうと思うのです。だからほんとうは、本人に人事をしてもらうのが一番いいのです。“私にはこういう適性があるのだ”ということを表現してもらうことが一面非常に大事だと思います。
(松下幸之助「自分で人事をする」)

では、なぜ「面白い、好きだなと思える仕事」が大切となるのでしょうか?論語には次のようにあります。

「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を楽しむ者に如かず」(論語)

この論語に対して、安岡正篤先生は次のように仰っています。

…『論語』に日く「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を楽しむ者に如かず」と。知ることは本来余り価値がない。これに対して、好むことは対象を自分の情緒の中に入れることであって、身になる。更に深く理性や潜在意識の働きが加わると、これを楽しむという。全ては楽しむという境地に到って、初めて渾然(こんぜん)として具体化してくる。つまり人間そのもの、生活そのもの、行動そのものになるからだ。学問もこの境地に達してこそ本物である。…
(安岡正篤)

安岡先生の「学問もこの境地に達してこそ本物である。」を、松下翁であるならば「仕事もこの境地に達してこそ本物である。」と仰るのではないかと私は考えます。


中山兮智是(なかやま・ともゆき) / nakayanさん
JDMRI 日本経営デザイン研究所CEO兼MBAデザイナー
1978年東京都生まれ。建築設計事務所にてデザインの基礎を学んだ後、05年からフリーランスデザイナーとして活動。大学には行かず16年大学院にてMBA取得。これまでに100社以上での実務経験を持つ。
お問合せ先 : nakayama@jdmri.jp

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