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”Everything happens for a reason” すべてを受け容れることで次へ進める

#外資系 #海外赴任 #内省 #自分と向き合う #離婚 #転職 #キャリア #ライフデザイン #インタビュー #働く女性  

「これからどうしよう?」と迷ったとき何かのヒントを見つけてもらえればという思いで【L100】自分たちラボが紹介してきた「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソード。

今回は、外資系企業で活躍しながら、40代後半になって仕事とプライベートの両面で大きな変化と向き合うことになった希(のぞみ)さん(仮名)のエピソードです。自分と向き合うために希さんがとった行動とは?


希(のぞみ)さん(50代前半) *インタビュー当時
経歴: 新卒で外資系企業に入社。営業で顧客の信頼を得る。出産、夫の海外赴任、自身の海外赴任の経験を経て、帰国。50代で退職と離婚を決め、日本企業の海外法人に勤務することを決める。現在はアメリカ在住。一人暮らし。大学生の息子は日本で元夫と共に暮らしている。 


―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
この1年で人生の大きな波が来ています。昨年末に新卒から勤めていた会社を退社。退職後に離婚が決まり、転職活動も並行して行いました。今勤めているのは、日本のメーカーですが、アメリカ現地法人の採用として来ているので片道切符です。
私は、人生曲線に描いたように、基本的に「人生右肩上がり」と思っているんです。離婚や転職で気持ちが落ちるときもあるけれど、全てのことには意味がある、学びに昇華できると捉えるので。元々計算して動くというより、直感や短期的な考えで目の前のことを選択して、結果的に良くなっている。その時のその選択をプラスにするべく行動しようとは思っています。

    

自分の意見が通る経験でスイッチが入り、仕事に邁進(20代:外資系企業への就職)

―――最初の転機は?
田舎の方に住んでいたので20歳まではかなりぼんやりしていたと思います。大学くらいから周りに刺激的な方に恵まれて、変わっていきました。
大学卒業後に、外資系企業に入社したのが、人生の中では一番大きな影響をもたらしたと思います。
男女雇用機会均等法が改正された数年後で、女性は、基本は一般職みたいな時代でした。大学は経営学部で、男性に囲まれる大学だったので、なぜ就職活動に男女差があるの?と思いながら、とりあえず総合職かつ営業職で受け続けて、たまたまその企業に入ることができました。でも、そのときは、一般的な寿退社をする気持ちでした。
実際、就職活動はかなり頑張ったのに、入社したらエンジンがかからず、モチベーションもなく、言われたことをこなすような仕事をしていました。入社して4年目くらいに、自分の言った意見が通る経験をして、「なんだ、しっかりやったら面白いじゃない」と思って、そこからスイッチが入りました。

複雑な思いでついていった夫の海外赴任(30代:仕事と家庭と子育てと)

―――その後、転機になったのは?
30代は、仕事をすごくやりながら、結婚。出産して育休から復帰した後はめちゃめちゃ大変でした。復帰後1年くらいは、朝昼晩がわからないくらい、家庭と子育てと仕事で必死でした。

それだけ必死でやって、得意先の評価も上がり、仕事が面白くなってきた矢先に、夫の海外赴任の話があって。職位が高ければ、私も夫の赴任先で仕事ができたのですが、その時の私のレベルでは休職せざるを得ませんでした。今、仕事が楽しいときなのにというキャリアの部分と、海外生活に興味がある部分とで揺れていたのですが、子供が小さかったので、日本に残って一人では無理と思って、休職してついていくことにしました。でも、どこか複雑な心境でした。
向こうでは聴講生として大学に行きました。1年ほどして帰るときには「本当に来てよかったな」と思いました。良いブレイクになったし、それまでほんとに根を詰めてやっていたんだなと、ゆとりを持って自分を眺めることができるようになりました。「物事はめがねを変えると違って見える」経験をした感じですね。

自らの海外勤務を経てやり尽くした感が(40代:希望していた海外赴任へ)

―――帰国してからは?
帰国後、マネージャー職になり、初めて部下を持ちました。10年ほどして、45歳くらいのとき、今度は私に海外赴任の話が来ました。希望していたので即決でした。夫はその時、転職活動中で日本を離れられず、息子は中学1年でしたが、いろいろ経験した方がいいだろうということで一緒に行きました。

―――海外でのお仕事はいかがでしたか?
3年間、グローバル販売戦略の仕事をしていました。赴任国から、アジアとヨーロッパ、アフリカ、中東の営業戦略を担当したりなど。日本人がいない部署だったので、仕事自体は大変でした。ビジネス的にも大変だったし、上司との関係も大変でした。ただチームの人間関係はやりやすかったです。

―――今回の転職に至ったのは?
海外赴任時から、帰る時には転職しようと思っていたんです。会社が、若いうちからどんどん責任を与えていくような会社で、同期もどんどん退職して外に出ていました。私も、もううちの会社ではやり尽くしたかなと思ったんです。
ところが、帰国後の業務が、とても貴重な経験を得られるものだったので、あと2年だけと決めて会社に残りました。転職での自分のマーケットバリューを考えたときに、私のポジションレベルだと50代に入ったら下り坂だなと思って、予定どおり2年経ったところで辞めました。

―――そのときに、誰かに相談したりアドバイスを求めたりしましたか?
一切しませんでした。何でも話してきた友達にも一切話をしなかったです。言ったら止められると思ったから。「ここまでいたなら、もう少しいといたら?」と言われるのがわかっていたんです。
夫には、退職届を出してだいぶたってから言いました。息子にも。夫も元々同じ会社にいましたから、辞めることに驚きはなかったですね。

全部が不完全燃焼な中、全部やめようと決めた(50代:退職・離婚・転職)

―――その後、離婚された?
海外赴任から帰って、家庭内別居の状態で、仕事も2年限定と思って残ったものの、モチベーションは落ちていました。家庭も仕事も不完全燃焼な中で、自分を穴埋めするようにいろいろ手を出しました。コーチングトレーニングを受けたり、習い事をしたり、ボランティアをしたり。でもしっくりくるものがなく、全部違うなと思って、全部やめようと思いました。帰国して1年後くらいに、この1年は、自分の中で「静」の年と決めて、仕事以外の余計な活動を全部やめてみたんです。ゴールデンウィークも初めて何もしないで家にいました。元々内省型ではあるんですが、あえて動かないと決めた期間に自分と向き合ったのかな、と思います。

―――それから転職活動を?
1年ほどして、そろそろいいかなと思って、動き始めました。
転職先は、贅沢を言わなければ苦労せずに決まるだろうと思っていたんですが、コロナの影響で、苦戦しました。
元々は、国内の外資系企業をターゲットに活動していたのですが、離婚も決まって自分の人生を考えたときに、アメリカで働くというオプションは面白いのかな、人生、経験しないよりした方がいいかなと考えて、日本企業の海外法人勤務を選びました。海外へ行くと決めて、仕事と家庭の混沌とした状態が、一気に解消した感じになりました。
 
「静」の年と決めた時期に、自分の中でずっと考えて、すごく楽になったことがありました。外資系企業で、常にキャリアアップを目指すのが当然という世界で来て、会社における自分の位置を相対的に見たときに、ずっと悔しい自分がいました。もっと上に行けるのでは?と思っていた中で、「違うな。私のポジションって今のこれなんじゃないの?」と自分を受け容れたんです
夫との関係も、元に戻りそうもないし、待っていても仕方ないな、と受け容れた。そうしたら、全てがストンと落ちて、活動しだしたんです。自分に起きたことを全て受け容れたときに次のアクションに行けた気がしています。
 
―――いろいろ考えてそこに至ったんですね。
いろいろ苦しんで、自分の中で悟りがあった感じですね。
“Everythig happens for a reason”というのが、ずっと私の中の格言。全てのことに意味があると、苦しかった時に思っていました。
本当に苦しかった時は、海外赴任の最後の1年で、家庭もキャリアも、それまでの柱がガラガラと崩れていくようで、そこからは暗黒の1年でした。そのときに自分の中でこの言葉に立ち返って前を見続けました。

自分の好きなように生きていきたい(今後について)

―――今後についてはどう考えていますか?
こちらに来ると「グリーンカードとるの?」とよく聞かれます。長く働いている方はとっている割合が多いですね。私はそれを聞かれたときにすぐに「うん」と言えないんです。片道切符とはいえ、まだどこに骨を埋めるか決めていないという感じです。
 
常にステップアップしようとがんばって、苦しんだりした自分を経て、今すごく楽なんです。人生、もう背負わなくていいやという感じで、自分の好きなようにしようと決めました。離婚の際にお金の計算もしたけれど、今の倍稼ぐことはないし、何をしていてもいい。“live the life you love” というボブ・マーリーの言葉のように、自分の好きな生活を自分のためにしていきたい。自分に丁寧に生きる。死ぬときに、本当にいい人生だったなと思って死にたい。「本当にありがたい」と人に感謝して。このまま行ったらそれができるのではないかと思っています。

日本の女性たちを応援したい(女性たちへのメッセージ)

―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
50代の私の世代前後の、特に女性は、私みたいな転機を迎えている人が本当に多いと思うんです。みんなを応援したい。特に日本の女性は、環境がら、世間体を気にしたり、自分の意思をちょっと抑えたりしていると思うんですね。こちらに来ると別居している人は当たり前のようにいて、ものすごくしっかりしています。
 
―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか? 
アメリカに来て、最初は人間関係で苦労したんですけど、一山超えて学びがありました。私は学びがあることが自分の中でプラス。辛いことも、嬉しいことも、学びにしてしまうのだと思います。
60代は当然体力が落ち、健康が崩れてきていろいろあると思いますが、まだまだ自分の中で学ばなければいけない、改善しなければいけないポイントがたくさんあるので、1つでも改善されていたら(人生曲線は)右肩に上がるかなと思っています。

(*文中の写真はイメージです)


インタビュアーズコメント

激動の2年ほどを過ごした直後のお話でした。その中で印象に残ったのは、「今の自分を受け容れたら、次に進むことができた」というお話です。その前に、あえて内省をする「静の年」を設けたことや、全てのことを学びに変えていこうという姿勢も相まってのことと思いますが、「今ある自分」を自分が認めてあげるということが、大きなスイッチになることを学びました。
新しい地での新しい章。今すごく楽なんですという希さんが、とても晴れやかに見えました。


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