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思い出の場所で(帰りたい場所) # 青ブラ文学部

以前住んでいた場所は今住んでいる場所からそれほど遠くない。30分ほどバスに揺られて久々に思い出の地に足を運んだのは数日前だった。

先日、今年1月に病死した愛犬の誕生日を迎えた。生きていれば11歳になっていた。
5月4日。それは昨年末にあと半年の余命と獣医師に告げられた際、「誕生日まではがんばろうな」と愛犬と約束した日でもあった。

その約束を果たせないまま天国へ旅立った愛犬に今してやれることはほとんどない。
ただ、不意に思い出の場所に行きたくなった。その場所に行けば天国の愛犬に会える気がしたのだ。

以前住んでいた家の最寄り駅に降り立つと、まだ数ヶ月しか経っていないのに、目に見える風景全てがひどく懐かしいもののように思えた。
古びたバス停、そのバス停とは場違いなほど綺麗に整備されたバス停横の広場、通い慣れたスーパー。

そこからゆっくりと以前の家へと足を進める。
家へと向かう道は愛犬との毎日の散歩コースでもあった。その道に染みついた思い出を大事に噛みしめるようにゆっくりと歩いていくとまるでタイムスリップしたかのように当時の光景が目の前に鮮明に浮かび上がってきた。

「いい天気で気持ちいいなぁ」なんて言いながら元気に散歩する2つの影をたどっていくと、前方に旧居が見えた。以前と同じ佇まいに思わず胸がきゅうっとなる。思い出の詰まった家、もう戻れない場所。

自分の住んでいた部屋にはもう誰か新しい人が入っているのだろうかとベランダを仰ぎ見ると、洗濯物が干してあった。全ては変わっていく。自分も自分以外の人やものも自然な流れにしたがって。

先月、友人とこんな話をした。

「天国ってあると思う ? 」
と僕が答えようのないことを聞くと、
「あるかどうかは分からないけど、亡くなった人や動物もどこかで生きてる気がする。例えば生まれ変わりとか」
「生まれ変わり ? 」
「うん、生きていると何であの時あのタイミングでこの人に会ったんだろうとか、そういうことって思うことない ? 」
「それはあるかも。偶然とは思えないような出会いとかは経験したことあるわ」
「そうそう、そういう理屈じゃ説明つかないことってあると思う。生まれ変わりとかもそういうことなのかなって思ったりするよ」

確かこんな会話だった。
なるほど、と思った。深い共感とともに友人の感性にも驚かされた。そして何よりもその言葉はその時の僕を救ってくれた気がした。

理屈では説明がつかない出来事。
言われてみれば愛犬との出会いも別れのタイミングも亡くなった後に一度だけ夢に遊びに来てくれたことも、どれもそうだった。

(この子とは必然的な何かで今も繋がっているのかもしれない)。帰り道、そんなことを考えながらゆっくり歩いていると、涙が込み上げてきた。
(ありがとう、これからも見守っててな)

バス停に戻り自宅に戻ると、仏壇に手を合わせた。
散歩していた時の首輪とリードを取り出してきて遺影と向き合い、ようやく言えた。

「誕生日おめでとう ! 」

そう言って写真の中の愛犬の最期の姿を大切に目に焼き付けた。

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