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【 日記 】 noteとの距離感



食欲というものには周期があるらしい。
普段はそうでもないが、ある時ふと思い出したように食べたくなるものがある。

その1つが焼肉である。
日頃からタンパク質をあまり摂らない生活をしているせいで体が欲しているのか、頭の中が焼肉のことでいっぱいになる。

それでいて、いざ店に行って3日分くらい食べると「もうしばらくいいや」という気分になる。
焼肉だけに熱しやすく冷めやすい。

もう1つは寿司である。
普段スーパーで見かけても特段食欲をそそられないのに、1ヶ月に1度くらい、無性に食べたくなる。

せっかくだからとスーパーの寿司ではなく回転寿司に行き、食べに食べまくりガチャガチャを回しまくる。
そしてまた「しばらくもういいや」となる。

書くことについても同じようなところがある。
年に何回か、「書きたい熱」のようなものが湧いてきて、毎日のように何かを書く。

noteの記事を書くこともあれば公募サイトのコンクールに応募することもある。
運がよければ多くのコメントがもらえたり、コンクールに当選して授賞式に招待してもらえるようなこともある。

noteを始めた頃は「毎日書こう」と張り切っていたが、段々と書くことそのものではなく、何を書こうか知恵を絞り出すことにエネルギーを注ぐようになってしまった。

何でもそうだが、義務化してしまうと本来の楽しみが薄れていく。目的と手段が逆転してしまうのだ。

僕はnoteと少し距離を置くことにした。
このままでは書くことが好きでなくなってしまう、そう思ったのだ。
書くことは無理にすることではない。趣味でやっているならなおさらだ。

毎日のように投稿しているような人は本当にすごいと思う。しかもそうした方々の記事を読んでいるとすごく高いクオリティの記事を書かれている。自分にはそうしたことはできそうもない。

noteと距離を置くことで気持ちが軽くなった。
より自然な感情で日々の物事と触れ合うことができるようになった。
以前なら、「これは何か書くネタにならないか」という目で物事を見ていたが、今では素直に印象に残ったことだけを心に残すようにしている。

不思議なもので、今のようなスタンスになってからの方が、何かを書こうと思った時にすらすらと言葉が出てくるようになり、自分なりにも納得のいく記事が書けるようになった。

おそらく本当に心に深く刻まれた光景や思いを言葉にしているからなのだろう。そしてそうした光景や思いに触れることは日々の生活の中で決して少なくないことにも気づいた。

わざわざネタ探しをしなくても書くことはあるものだ。書きたいことを書きたい時に書く、自分にはこのシンプルなスタイルが合っているし、気に入っている。

これまでの人生を振り返っても、「明日からこうした意識でいよう」とか「こういうことに興味を持とう」とか思ったことよりも、自然に生きていく中で頭と体に染み付いたことの方が圧倒的に多い。
結局は何事もなるようになるのかもしれない。

こうした気楽な気持ちで今日もこの投稿をしている。久々に書きたい意欲が湧いてきたのかもしれない。今はただ心の声に身をまかせ、頭の中を空っぽにするだけだ。

noteとの付き合い方は人それぞれである。
楽しめればそれでいい。楽しみたい時にこの街に戻ってくればいい。

noteという大切な居場所。
そこには素敵な仲間が待っている。
自分のことを好きでいてくれる仲間がきっと。




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