星と鳥と風5~アレ
アレ とか ソレ とか
僕がたまに出していたワードについて触れていこうと思う。
初めて アレ を見たのは小学校3年生くらいだったと思う。近所に地区の人達が集う体育館があった。
毎日学校の登下校でその体育館を横切るんだけど、ある日の帰り道、その場所が突然池になっていた。
緑色のバクテリア全開な水色の池。
池から湯気らしきモノも出ていた。
その中に得体の知れない アレ がいた。
いつもの見慣れたはずの場所が、全く身に覚えのない場所になっていて、得体の知れない アレ ばかりがうよめいていた。
今想うと今の世の絵図のようにも感じる。
その時はそんな事にも考えが追いつくはずもなく、
ただただ恐怖で、腰が砕けて、その場にへたりこんでいた。
気がつくと、その体育館の階段で1人、ワンワン泣いていた。
その日から アレ とのコンタクトが始まった。
ある日、父方のおじさんが亡くなった。
僕は子供用のスーツを着せられて、祖父母と父の車でお通夜に向かっていた。
家に着くと、おじさんも玄関先でお通夜に来るお客さんに何やら一生懸命喋りかけていて、あれ?亡くなったのは違う親族だったのか?と思った。
その後もお線香をあげるお知り合いに「ありがとう」「あんたとは仲良しだったな」とか、「お前はなんばしにきたっか!?」訳:お前は何しに来たんだ!?)などなど相変わらず元気の良いおじさんパワーで、お通夜は悲しいものという概念すら吹っばされていて、心なしかお通夜に来た人達も、誰かが亡くなったとは思えない程明るい雰囲気に包まれていた。
そして、ぼくが線香をあげる番になった。
父と横に並び、ふと故人の遺影を見上げた。
ソコに実在しているおじさんがいるにも関わらず、やはり出してある遺影は確かにおじさんだった。
すると、おじさんが僕に喋りかけてきた。
「おい!星!お前、俺が見えるとか?
したらよ!土地は長男に全部やるて母ちゃんに言っとけ!いいか?もう一回言うぞ!
土地は全部長男にやるけ!母ちゃんに言っておけ!」
と、隣に座る、亡くなったはずのおじさんに言われて、「あ、はい」と答えた。
また続けて
「おい!星!お前は優しいっちゃな〜!優しいかいおいがみゆっとやなぁ〜、、、
お前は大変な家に産まれたなぁ〜
やけん、気張っとぞ!
男やっちゃかい!やるっど」
と言い残してスッパリ消えた。
あ、はいと言った時に父は気付いていて、「どうした?」と聞いてきたので、起こったことを話したら、ただただ気持ち悪がられたが、父がおばちゃんにその事を伝えると、おばちゃんは膝から崩れ落ちて泣いていた。僕はそれを見て少し罪悪感のような感情を覚えた。
おじさんの長男は少し知的障害のある人で、イジメなんかにもよくあったり、嫌味な親戚からの酷い言葉も受けていたようだったが
僕にとっては大好きな兄さんだった。
釣りの事も詳しくて、近所のデカい鱒を釣った話しなんかもう10回程は聞いたはずだ。
それも相まって、僕は今でも釣りを大事な趣味にしている。
しかし毎回同じ話を聞いても、飽きないくらい兄さんの話はいつも心を動かされた。そんな大好きな兄さんのおかげと、それから先の人生でもそういった人達と触れ合える機会に恵まれていた僕は、幼い頃からそういった方達に偏見どころか、リスペクトしかなかった。
そんな兄さんの事を想っておじさんが伝えてきたのだと思うと、今更ながら泣けてくる。
自分でもこんに続くとは思っていなかったブログ。
読んでくださる全ての方に感謝します。
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