見出し画像

子ども時代のトラウマから抜け出す

 いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック ーいわゆるトラウマー に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。

『NHK 「100分de名著」ブックス アドラー 人生の意味の心理学』

私は子ども時代、かなり一生懸命ある習い事をしていました。
中高生の頃は6時から深夜12時まで練習するなんてこともざらでした。

高校卒業後その習い事の専門学校に行くのに4年間の海外留学をし、その道のプロになりお給料をもらい、ご飯が食べれるくらいになったので、端から見ると順風満帆、あの時の苦労が報われたねと思うかもしれません。

今日はその習い事時代の話です。
私が何の習い事をしていたのかは重要じゃないので、明記しません。

その習い事の先生はとても厳しく、気難しい人でした。
大人になるにつれ、あの時、先生が厳しくしてくれたから私はこうして…と感謝するのがあるあるの流れかもしれません。
しかし、私はどうしてもそう思えませんでした。

大人になるにつれ、どんどん疑念が高まり「あれは完全にダメだっただろう、児童虐待の観点で」とまで思うようになりました。

その先生にどんなことをされ、どんなことを言われたかを書き始めると超長文になってしまうし、恨み節になってしまうので避けます。

その先生の元で指導を受けていた間、上達だとかそんなことは二の次で、何よりも私達生徒の頭を占めていたのはいかに怒られないかということでした。

怒られると「帰れ」と言われたり、「あなたが出ていかないのなら私が出ていく」と他の生徒に迷惑をかけたり、後が面倒だからです。
今の私なら「帰れ」と言われたら帰りますが、「ごめんなさい」と泣きながら、理由もよくわからないまま謝るというのが私達の日常でした。

ある意味、洗脳です。
子ども達は当然大人より経験が浅く、コントロールするのはさほど難しいことではなかったでしょう。
特に恐怖で支配するのは簡単なことです。

とにかく怒られたくないという一心でした。

そんな日々でしたが、一気に目が醒めた出来事がありました。
ある日、その先生は躊躇うこともなく「あなたの両親はあなたのこと何もわかってない。馬鹿ね」と吐き捨てたのです。
洗脳と書きましたが、私はこれを鵜呑みにするには余りにも両親から愛されていましたし、両親は私の良き理解者でした。

この一言で下品な言い方をすればドン引きしたのです。
もうこの人にはついていけないし、尊敬も何もないと思いました。

子ども時代のトラウマというのは根深いもので、私は今でもこの先生が出てくる悪夢を見ます。
もう10年以上前の話なのに。

ただ、私はこういうトラウマがあるから私はひねくれているんだ、とかそういう風に思ったことはありません。
ある意味、上手くトラウマと洗脳から抜け出せたと思っています。

私はその先生を許したり、ましてや感謝をするという気持ちにはなれませんが、その過去はさっぱり置き去りにして前に進むことは出来ました。
また、留学先や就職先で出会った先生方や同僚から、この世界がどんなに美しいかを学び、情熱を持って楽しく取り組むことができるようになりました。

習い事の先生がその習い事の楽しさを教えられないのは悲しいことです。

私が手にした小さな成功を、私の人格をその先生と紐づけしないこと、それが私にとって重要なことでした。

子ども時代の嫌な思い出に苦しむことは多かれ少なかれ皆あると思います。
特に部活や習い事、勉強関係などが多いのかもしれません。
いつまでも苦しかった思い出を言い訳に「だから私はこんなひどいことを人に言ってしまうんだ」とか、「今でもこんな気持ちになるのはあの人のせいだ」などと思うのは、自分の心が支配されることを許している状態だと思います。

トラウマは過去に置き去りにしてもいいんじゃないか、と私は思うのです。

習い事関係のトラブルってよく耳にしますし、諦めない、途中で投げ出さないってことを子どもに教えるのは大切だけど、本当に苦しい時って子どもの頭には辞めるとか、その環境から抜け出すってことが選択肢として出てこないと思います。
少なくとも私の頭には無かった。

精神病に苦しむ人が多い現代、自分にとって悪い環境や悪い人から距離を置くことを子どもには伝えていきたいです。

弟が就職した時、私が一番心配したのは鬱病でした。
彼にそういう気質があった訳ではないですが、新卒で希望を持って就職して、一生懸命働いて、そういう若い芽を摘もうとする人は少なからずいます。
「もし就職してみて違うなって思ったり、意地悪されたり、辛いことがたくさんあったりしたら辞めていいんだよ。また仕事探せばいいんだよ」と伝えました。

幸運にも彼は今の仕事が好きで、やり甲斐を持って続けています。

目標は一度決めたからと言ってずっと同じでなければならないということはありません。必要があればいつでも変更することは可能です。それは子どもに話しておいていいと思います。子どもを追い詰めることは避けたいのです。自分の選択が間違っていたと気づいたときに親の反対を振り切ってまで選んだことかのだからと方向転換できないと子どもが思うことは避けなければなりません。

自分で自分の人生を選ぶということは子どもにとっては厳しいことではあります。しかし、親から信頼されていると感じられる子どもは幸せとは思いませんか?

『子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気』




この記事が参加している募集

#読書感想文

191,896件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?