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大地震を本気で願った20代!衣食住足りて人は優しくなれる。

長野県中野市で近隣住民の女性と警察官計4人が殺害された事件で、容疑者である青木政憲氏は「ばかにされたと思い殺した」という供述をしています。それに対してインターネット上(youtubeのコメント欄)には、「そんな理由で殺すなんて」「まったく同情できない」「死刑になってほしい」と、これまた怨嗟の声が溢れてます。

こうしたコメントをする人たちは自分と青木容疑者が”まったく相いれない”人という見方をしているようです。すなわち「いつか自分が殺人犯側になるかも」なんてことは露程も思っていないって感じでしょうか。

① "言い訳できない"貧乏生活

私は25歳まで深夜のコンビニバイトで生計を立て、28歳で初めて正社員になりました。フリーター時代は資格勉強と併行していたことから、シフトはやや抑え気味。本当にお金がなかったです。

朝8時に就寝し、14時に起床。まず食べるのは「サッポロ一番」です。夕飯にはスーパーで安くなった弁当。ときおり購入するお菓子が唯一の食の楽しみでした。

そんな貧乏生活でも、資格関連の書籍や受験料、2年に1回の家賃の更新料など、まあまあ大きな出費を余儀なくされるときもあります。そんなときは「給料日まで残り2日で手持ち800円しか残っていない」みたいなことが何回かありました。

確かに貧乏生活は辛かったです。でももっと辛かったことは、
自分の貧乏に「言い訳ができない」ことでした。

「お金がない」「貧乏」という人には、だいたい「これ」っていう理由があります。

起業して失敗した、ギャンブル依存症、親の介護などなど・・・。これらはいずれも第三者的な目線では”同情の余地あり”であり、仮に友人にそんな背景・現状を打ち明けられたら、「それはお前が悪いんじゃない」と声をかけるでしょう。

では私はどうだったか。起業をして勝負しているわけではない、酒もギャンブルもやらない、親は元気。ただ、ヌルっと貧乏だったわけです。誰かに相談したら「それは自業自得だ」と言われて終わりです。

私は生活に困窮する以上に、金を稼げるアセットを十分に持っているにも関わらず、それが達成できない自分があまり情けなくて、精神的にまいっていました。

②「大地震起きないかな・・・」

そんな貧乏生活の最中、私は大地震が起きることを本気で願ってました。

ー大地震が起きればお金持ちも貧乏も関係ない
ー生き残るのは体力がある自分だ(25歳男性だったので)
ー社会がリセットされれば、相対的に自分の社会的な地位は上がるはずだ

すでにそれを”いつ思ったのか”の記憶がありません。
なぜならお金がない時代は、ずっとそんなことを思っていたからです。

思うだけならいいじゃないかって?

いや、そんなことはないのです。社会に認められていないことやお金がないことは色々な形で「攻撃性」に変換される。それを私は自分自身の経験から理解しています。

③ テクノ音楽と攻撃性

当時、アパートの下の階から騒音が聞こえることがありました。ベッドで横になると、クッションを通して、テクノ音楽のような音が聞こえるのです。資格の勉強に躍起になっていた自分にとって、睡眠を妨げられることは、未来を潰されているような気になりました。

私は抗議の意味で、イスを持って、床に「ガン!ガン!」と何回も打ち付けました。すると音は鳴りやんだ気がしました。

しかし、数日して、まだテクノ音楽は鳴り続けました。私はその度にイスを打ち付けます。

そんなことを繰り返していたある日、大家さんに呼び出されました。

「なんかガンガンやってますか?」

当時、アパートの1階に住んでいた大家さんにも音が聞こえたのでしょう。いい人なので、怒っちゃいません。むしろ、そんな奇行に走っている若者が怖くて(今思うと)顔がひきつっていたと思います。

「下の階の人がテクノ音楽を鳴らしてるんですよ」

「そうなんだ。私は聞こえないけど、伝えておくね。」

大家さんは私に「やめてくれ」とも言いませんでした。

私の奇行はそれだけで終わりません。騒音が原因で、隣の部屋にクレームを言ったこともあります。また、全然関係ないですが、駅でおっさんと喧嘩したこともありました。

当時は何も怖くありませんでした。殴ろうが殴られようが構わない。クビになって惜しむほど大した仕事もしていない。賞賛されることもありませんが、非難されることもない。非難してくれる相手もいなかったからです。

④ 鳴りやんだテクノ音楽

その後、私は紆余曲折を経て大手企業の正社員になることができました。正社員になってからも、すぐに大金が入ってくるわけではないので、しばらくは同じボロアパートに住んでいました。でも、貯金ができるくらい生活には余裕ができましたし、何よりも社会から認められた気がして、晴れやかな気分になりました。

そんなある日に気づくのです。

「あれ?テクノ音楽が聞こえないぞ」

私の生活は、バイト→派遣社員→正社員と段階的に改善されていました。すると不思議なことに、下の階からテクノ音楽が聞こえなくなったのです。

「もしかしたらあれは幻聴だったのか?」

下の階の住人が引っ越した可能性もあります。でも、明らかにスモッグが晴れた自分の心情を思えば、あれば幻聴だった可能性が高かったのです。

人は生活に余裕がないと、他人を思いやることができません。
社会に認められないと、いわゆる「無敵の人」になってしまうのです。

⑤ 悲惨な事件は病の症状

青木容疑者が事件を起こしてから数日、同氏の生い立ちや生活環境が報じられるようになりました。彼が生まれ育った地域はいわゆる「ムラ社会」で、互いの素性がわかってしまう状況だったようです。親は市議会議員で名家の育ち。高校時代までは「普通の生徒」で、大学入学を機にいじめられたことで、自分の殻に閉じこもるようになったと言います。

被害者は根拠なく狙われた可能性があり、可哀そうなのは当然です。でも、青木容疑者も長きに渡って可哀そうな境遇に見舞われていたはずです。そして、その原因は青木容疑者”だけ”にあるわけではなく、学校、家族、地域など、本人をとりまく「社会」にもあったのではないでしょうか。

人間、睡眠不足が続けば風邪をひきます。暴飲暴食を続ければ糖尿病になります。病気には"なるべくしてなる"という「原因」(先天的なものもありますが)と、痛みやかゆみなどの「症状」があります。青木容疑者が起こしたような事件というのは、言わば社会が抱える病の「症状」。社会という人体があげた悲鳴とも言えます。

それに対して「犯人は死刑にすべきだ!」と憤っても空しいばかりです。

少なくとも(過去に大地震を願っていた)私は、青木容疑者と自分は”同じ人間”だと思っています。そんな意見を目にすると、表面的で窮屈な社会にがっかりしてしまうのです。

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