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kindleでポチったままの本って何ていうん?積読の『たなおろし』をやってみた

チェコで日本語教師をしている。
こんな私にとって欠かせないのは、何と言ってもKindleと、一時帰国の時にAmazonで紙媒体の本を仕入れること。もちろん本屋めぐりは当たり前だ。

日本語教師をしている人からは共感してもらえると思うけど、日本語教育関連の本はKindle版がすくない!
なので日本に帰った時は幸いと、1年で読めそうもない量の本を購入し、荷物の重量オーバーにおびえながらチェコに持ち帰っている。
そしてKindle版があれば、「これは貴重だ!買わないと!」ってなり、ポチりまくる。

その結果、見事に読み切れていない「積読」たちが所狭しと本棚を占拠し、あらゆるデバイスの容量も支配している。

日本への一時帰国が明日にせまり、一度持っている本を整理しようと、出発前日だと言うのに「たなおろし」を始めた。

まずは本棚に陳列された本たち。
ひとつひとつタイトルを確認し、すべての積読をノートに書き留める。その際、
・自分のキャリア(日本語教育関連)
・その他の実用書
・小説や詩、エッセイなど
とカテゴリー別に書いていく。

圧倒的に日本語教育関連の書籍が多い。
すでにノートの1ページ近くが埋め尽くされている。
小説は最近母が持ってきてくれた本がほとんど。積読と呼ぶほどでもなかろう。ほんの数冊だ。

さて、問題はKindle。
こちらは目に見えて手に取れる紙媒体とはちがう。本棚に姿を現してくれるものでもないから、自分がいったい何冊買いためているのか一目ではわからない。

おそるおそるKindleのアプリを開けて確認していく。

うわー。
出てくる、出てくる。
恐ろしい量の未読本。

みるみるうちにノートに書き尽くされていくありとあらゆる書籍名。
仕事関連とか、実用書とか、小説とか関係ない。
どのカテゴリーも等しく積読リストが長くなっていく。

私はいくらお金をつぎこんだのだろう。戦々恐々とする。

べつに読書していないわけじゃない。
読書のスピードと購入のスピードが合わないから積読が増えている。
既読の本と合わせたら、それこそ直視できない量の本だ。

いくら支払ったのか、それを確認する度胸のない私はお金のことなど頭から放り捨てる。今重要なのは、積読の量なのだ。

「たなおろし」の結果
キャリアに関する書籍 約40冊
実用書 約35冊
小説等 約25冊
となった。

知りたくなかった現実だ。
ちなみにチェコ語の本は入れず、である。
ちなみに日本の実家にある書籍はカウントせず、である。

Kindleはやはり恐ろしい。
ポチっと1クリックで購入できてしまうから、次から次へと購入してしまう。

そしていつも思う。
電子書籍でも「積読」なの?積んでないのに?
そんなこといったら、本棚にだって積まずに並べてる場合もあるだろ、とか言われそうだけど。
なんか実体がないから「積む」が変な感じ。
とりあえず「ポチっとく」感覚でも買っちゃうし、「ポチ読」とかじゃダメなん? って数年前友人に言ったら、「いや、おもんな」と言われたのを思い出す。

しかし、積読にもメリットがある。(積読じゃなくてもだけれど)
まず自分の興味関心が可視化される。
本を洗いざらい並べてみると、日本語教育では「評価」「思考力」「質問力」「タスク型」「ドラマ技法」に強い関心があるのだと改めて気づく。
それ以外だと、「美術」「エシカル」「ジェンダー」関連の書籍が多い。

そしてプライミング効果なのかしら。
それらのキーワードに関する情報はよく入ってくる。
購入した本はまだ読めていないけれど、興味関心のあるテーマのものは、ある程度知識もあるし、勉強会にも参加している。
さらに書籍を読めば知識の強化ができるだろう。

最大のメリットは、出会った本を見逃していないということ。
昔、新聞の小さな欄で、ある本が紹介されていた。しかし、そのときメモをせず出かけ、帰宅後、母がすでにその新聞を処理していたことが発覚した。
結局その本に出会うことはなかった。もう10年以上も前の話である。今でも時々、「どんな話だったんだろう?」と書籍の説明文を思い出してはストーリーを妄想する。
でも、もう出会えない。

だから積読は良い。
たとえすぐには読まなくても、手元にあれば、10年後に読めるんだから。

本との出会いも一期一会。
過去の教訓を胸に、私は日々ポチる。

日本行きの飛行機待ち、ヘルシンキ空港でこの記事を書いている。
すべての積読そしてポチ読を把握した今、私は晴れ晴れとした気持ちで飛行機を待っている。
待ってろよ、Amazon Japan。
紙媒体でしか販売されていない実用書10冊が買い物カートに入っている。

あとはポチっとするだけだ。

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