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49歳で大学を卒業した私が大学院に行かなかった訳

こんにちは。しんかいさんです。

肌寒いですね〜。
6/6関東甲信越地方は梅雨入りが発表されましたね。2021年より8日早いそうです。


さて、今日は「49歳で大学を卒業した私が大学院に行かなかった訳」について、書いてみます。

こんな人に役立つかも
▷勉強好きな人
▷アウトプットしたいのになかなかできない人
▷アウトプットが苦手な人

大学院で学びたいと思った学びとは

私は18歳のころ、家庭の事情により大学に行けず
45歳で心残りであった大学への進学をし49歳で卒業しました。

大学では心理学を学び、「人間学士」をいただき卒業しました。心理学の勉強は最高に面白く、これからもずっと一生学び続けていきたいと思うものでした。

大学での勉強では意外にも『仏教学』に特に興味を持ち、在学中の最後のレポートは、『仏教から考察する死を恐れない患者の特徴』を考察したくらいでした。

大学院に行き、更に仏教学と心理学を深めたいと思い、大学院を探しヒットしたのは、私が卒業した「武蔵野大学の大学院」と「高野山大学院」が見つかりました。いずれも仏教学やインド学が学べ、武蔵野大学大学院を卒業すると「浄土真宗本願寺派教師申請資格」が取得できるとのことでした。

ん?、「浄土真宗本願寺派教師申請資格?」、要らないよなぁ(笑)、ただただ学ぶには子育てでまだまだお金がかかる子供を抱える身としては高すぎる…。夫には「あなたはやり出すと猪みたいから、その方向って、出家する勢いじゃね?」と言われるし(笑)

一気に冷めてしまった大学院への道

大学院に行って勉強している自分を想像してみました。「きっと、私は大学院に行ったら、マニアックなことをマニアックな人たちに囲まれて、楽しくマニアックな大学院生をするだろうな。そして、論文など大変だと思うけど、それも楽しみながらきっとやりきれるんだろうな」と想像しました。

「大学院を卒業できる!」と入学もしてないのに図々しくも思えたのは、頭の良し悪しではなく、自分史を振り返れば可能であると想像できました。要するに、今までと同じ行動をすれば、同じ結果がでるのは想像できるからです。

けど、急に湧いてきたんです。
自分に対する嫌悪感が…。
「インプットはもう十分」と。

人生の正午 これから何をしていく?

49歳で大学院へ行き学ぶというのは、なかなか頭に入らない+直ぐ忘れちゃうお年頃のチャレンジとしては、素晴らしいことだと思います。同世代の人がそれにチャレンジしたら、ナイスチャレンジと思うと思うし、心から尊敬し、応援したいです。

しかし、私は私自身にこう問いかけました。
「いつかは自分が学んできたことを自分だけでなく、誰かの役に立つことに使いたいと思っていたはず、そろそろ人生の折り返し、いま始めないともしかしたら私、死ぬまでやらないのでは?」

大学院に進むということは、一見向上心があるように思いますが、学びや経験を人の役にたてたいということを最終目的にしている私にとって、
「今の自分では足りないかも」という自分を疑う気持ちや、アウトプット(自分の大切にしていることを拒絶されることへの恐怖)の道を避けるための時間稼ぎでもあるということもわかっていました。

だから自分に言い聞かせます。「もうこの歳にして、世界には色々な人がいて色々な考えがあることもよくわかりました。拒絶でなく、フィードバックと思えばいい。考えてみれば、この歳でフィードバックもらえるなんて、自己成長楽しむことを考えてみれば素晴らしくありがたいことです。今の自分で踏み出してみたら?」と。

大学院への道を行けば、きっと今までどおりの楽しい道であることは想像できます。
アウトプット(人の役にたつために、自分の経験や学びを活かすために実際に行動をしていく)の道は、私の今までみたことのない道に続いていると思います。その道は知らない道だから、どうなっているのかわかりません。(冒頭の図、参照)

つまづく石ころや高い山などあるかもしれません。けど、その先にはもしかしたら私の見たことのない凄い景色が見えるところに辿り着くかも知れません。

人生100年時代、私は人生の後半に入ります。ユング博士のいう、『人生の正午』も迎えました。
心理学や宗教学は独学で楽しみ続け、とりあえず今の自分に背を向けず、私が今できるアウトプットをしてみよう!と考えています。

人生の正午を迎えた皆さんは、これから何を楽しみますか?

読んでくださりありがとうございました。

#あの選択をしたから

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