こだわりを捨てれば成長する
ゲームにMODを入れるのが嫌いだった。、
真面目にやるべきだという強迫的といってもいいくらいの美学があった。、
みんなから好かれることを目標にしていた。、
漫画家かつジャンプ作家になることをこだわった。、
何か突き抜けたものがひとつでも欲しかった。、
格ゲーはアケコンかつコマンド入力しかない。、
不倫はいけないこと。、
パソコンはゲームするものじゃない。マウスもキーボードもゲームしてる感覚にならない。、
それらこれまでの価値観に反していたことを取り入れようとした。
こだわりを捨てたのだ。
そうすることで新しい選択肢が見えてきた。
同時にこれまでの視野が狭かった事にも気付かされた。
こだわりは捨てるまでが大変だが、いざ捨ててみると執着していたこと自体をアホらしく感じるようになる。
「今考えたらあんまり大事じゃないな」
なんて事はザラにあるでしょ?
ゲームにMODを入れるのは開発者に失礼だし、動作面で不安がある……。いやでも金は払ったし良いか!バグったらその時はその時よ!と思えるようになったし、真面目さは需要が無いし、他人に好かれるより自分自身が自分を好きになれるかどうかだと思えるようになった。
いまや格ゲーはパッドかつアシスト機能も使う。必要とあらばキーボードやマウスも使う。
漫画じゃなくても作品は作れる。
視野が広がるということは、選択肢が増えるということだ。
いま持っている価値観は変えられる。後天的に刷り込まれたもので、本能じゃない。
アタッチメントみたいに付け替えるんだ。その度に新しい発見がある。
人間は本能以外、主に信念といった概念で行動を変えられる。これらは決まって偏見だし、間違っているが、新しい価値観から生まれる行動は新しいものを生み出すのが人の世の常だ。
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