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人は自分が体験したことしか真実だと思えない

僕は虐待を受けたことがないし、見たこともないので、虐待が実際にあるものだとは思えない。

でもそれは皆がそうで、実体験したものしか真実だと思えない。

宝くじに当たった人間は、実際に宝くじが当たった体験があるから、宝くじ当選を真実だと思い込む。いや確かにそれは真実ではある。個人単位では。
宝くじに当たったことのない人間は、宝くじ当選という体験をどこか現実の体験として考えていない。

アスリートが「努力は必ず報われる。報われないのは努力不足」とよく言うのは、自分にとっては努力で結果を出してきた体験があるから、他の人にもその真実定義を当てはめてしまう。

「僕ができたんだから、みんなもできる」

それは個人個体が特殊だったから、努力が報われただけであって、それ以外の個体は同じ努力ことをやっても同じ結果にはならない。伸び代や向き不向き、成長速度、フィジカルは皆違うから。結果的にアスリートといった成功者の言う成功哲学は、個人としては真実でも、全体では嘘になる場合がある。その人はその人本人の人生しか体験したことがないから、自分とは違う体験をリアルに考えられない。
 宝くじもそうで、個人が1発で当たったとして、他の人も当てられるかといったら不可能。本人にすら再現性がないんだから。運という身も蓋もないものに左右された真実。
 ギャンブル依存症になる人間は、必ず一度は大勝ちしている体験がある。だから再現性が皆無だとしても、自分の中に実体験としてある、紛れもない真実を信じてのめり込んでしまう。

戦争もそう。
今現在も世界のどこかで起こっていると知っていながら、どこかフィクションのような感じがする。それは実際に体験したことがないから。
だからコールオブデューティ(戦争ゲーム)のようなゲームを楽しめる。実際に戦争を体験した人なら、コールオブデューティなんて楽しめないだろう。そしてそんなゲームで遊ぶ人間を軽蔑するだろう。実際に個人体験で戦争を味わった人は、平和な国に帰ってくると理解者の不存在に苦しむ。ベトナム戦争から戻ってきたランボーの心情はこんな感じだろう。

幽霊なんていうのは露骨で、心霊体験を実際にした人しか幽霊を真実だと思えない。心霊体験をしたことがない人間は、幽霊をミッキーとか、スポンジボブとか天狗といった創作のキャラクターアイコンだと思っている節があると思う。霊感がない人にとっては、現実の世界に干渉してくる存在じゃないし。でも霊感がある個体からしたら、幽霊の存在は紛れもない真実で…。周りの人間は霊感のある人を不思議ちゃん扱いしたり、病人扱いする。周りの個体からすると、心霊体験は事実じゃないから。

人間は分かり合えないね。


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