見出し画像

理解すること、されること。

オードリーが好きだ。
リトルトゥースって程ではないけど前は熱心にラジオを聴いてた。


だいぶ前に若林さんが話していた片頭痛の治療で通っている病院の主治医に言った結婚したきっかけで「何が居心地がいいのか」と問われた際の答えが未だに心に残っている。

自分のことを″分かってもらいたい″って不思議と思わないんですよ。

オールナイトでのお話。

これ聴いた当初は「へぇ〜〜〜〜〜〜〜〜素敵」って思ってた。
こんな風に思える関係性って素敵じゃん?って。
若林さんみたいになるぞ〜〜〜〜!!って。
あなたにとって理想的な関係はどんな関係?って問われたら間違いなく「自分のこと理解してほしいって思わなくて済む関係性ですかね」とかカッコつけて答えていたと思う。


現に若林さんの言動は素敵なのだ。
それは若林さんの不安とか葛藤とかをいろんな媒体で知っているから。
劣等感に苛まれていた彼が、自己肯定感の低い彼が奥さんとの出会いで変われたのだから。


なんで今更こんなことを思い出したかって言うと、
”自分”にとって「自分のこと理解してほしいって思わなくて済む関係」が理想的な関係性なのかと疑問に感じたから。
若林さんみたいに思える人になりたい。
若林さんみたいな関係でありたい。
若林さんみたいに自分の輪郭が変わってしまうような出会いをしたい。
そんな風に思おうとしていた。暗示かけるみたいに。それが思った以上に難しかった。理解されたいって思ってしまった。悔しいな。

僕はパートナーに色んなことを話したいって思う。なぜなら僕の定まらない考えや気持ちを少しでも伝えて知ってほしいから。そして受け入れてほしい。だから「価値観が違う」ってだけで拒絶され壁を作られてしまうと絶望してしまう。誰だってそうなのかな?
「価値観は人それぞれ。十人十色。」の大原則があった上での価値観の共有って大事じゃない?理解はされなくても心の中で「そんな考えとか気持ちもあるよね」って”受け止める”だけでもずいぶん違うものだと思うんだよね。ちょっとでも自分と違ったら拒否し拒絶する。そんな姿が見えてしまうとあなたと違う部分は全て隠さないといけなくなる。そうするともう本音を話すことなんてできやしない。


受け入れなくてもいいから、一度受け止めて欲しい。
そんなことを他人に求める自分がいてしまう。
自分の器の狭さを相手の器が狭いことへとすり替える。
自分は受け止めるつもりだよ?って平気で嘘ついた顔して。
全然理解するつもりも向き合う気もないくせに。

エゴだよそれは。


他人や出会いや関係性に”変えられる”のではなく、
自ら心を開いて”変えてみよう”。
自分を変えられるのは自分だけだから。

まずは相手を感じることから。


この記事が参加している募集

スキしてみて

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?