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長崎の原爆が投下された日の話。


今日は、78年前長崎に原爆が投下された日。
子どもの頃から、歴史の授業では学んできたし、高校で行った沖縄の修学旅行ではガマの見学をした。

おそらく、私たち世代が戦争体験者から直接話を聞ける最後の世代だろう。

小学校2年生くらいの生活か道徳の時間に、おじいちゃんたちの昔のことを聞いてみてくださいという宿題が出て、祖父母に話を聞いたこともある。
その先生は、両親が戦争体験者だからそういう宿題を出していた。


…その当時は、食べ物がなくてとても苦労した、兄弟が亡くなってしまったなどの低学年の私が理解できる内容しか話してもらえなかった。

中学生くらいになり、祖父が何とか生きて帰ってこられたということを知ることになる。
この件については、また後日機会があれば記させていただこうと思う。

転職して、子どもたちに福祉教育の一環で何か内容を考えて欲しいと小学校から依頼され、命を考える授業を企画したことがある。

その中の一つに、戦争体験者の方の話というテーマを組み、当日の講演をお願いした。

原爆の絵本などはさまざまに出ているけれど、体験者の方の話を含めて聞くものは、耳を塞いでしまいたくなるくらい、辛く悲しいものであった。

もちろん、参加した小学生の中には大泣きしてしまう子どももいた。

静かに真剣に話を聞くのが難しい年齢の子どもたち。
始まる前は騒がしくふざけていた子どもでさえも、講演中は物音ひとつ立てずに真剣に話を聞いていた。

人間のエゴではじまってしまう戦争。
何があっても、もうしてはいけないと思っている。

講演の後、講師の方がお話しされていて心に残った言葉がある。
「本当に辛く苦しく悲しいことだから、死ぬまで誰にも話さない、お墓まで持って行く、思い出したくないから話したくないと思っていたけれど、危険な時代に入りそうだから、話すことにした。」

と話していた。


話を聞くことができる世代だからこそ、これからの過ごし方を考えていかなければいけないなと思う。

講師のその言葉を聞き、祖父も本当に壮絶な辛い経験だからこそあまり話したがらなかったのだろうと思った。

先祖が懸命に繋いでくれたバトン。
無駄にしないように生活していきたいと思う。

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