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学校に行かないという選択は、自分軸を立てるギフト

今日は2学期の終業式でした。すっかりホームスクールが定着している娘は、いつもどおりに、鼻歌混じりで過ごしています。同じ世界の中にいて、外側の賑やかさとは離れた、穏やかな世界を生きている感じ。

振り返れば2学期は一度も学校に行っていませんでした。
外側にあった軸をどんどん内側へと向けていた期間のように感じます。
もう、「お人形でいることはやめた」と話してくれてから、より楽しそうに毎日を過ごしています。あんなにつらさを感じていた毎日が嘘のよう。


担任の先生から受け取ったクラスのおたよりに、最近のクラスメイトたちの様子が書かれていました。
率直に感じたことは、みんなすごく頑張りすぎているのかな、完璧を求めすぎているのかな、ということ。中には自分を責めている子もいて。

イレギュラーな状況で本当によくやっているし、楽しくて頑張っているのならそれでよし、ですが、そうじゃないように感じることもありました。


視野を広げてものごとをみて見ると、誰かが、何かが悪いとか、そういうことでもなくて、必要な経験があってそのことが起きただけ。


新しい風の時代、望みがどんどん叶っていく時代と言われてしあわせな時代へとどんどん進んでいますが、自分の本質が求めているものを抑える行動を選択することは、つらさを生んでいくんですね。
それは、大人だけでなく、子どもたちも同じこと。

すべての人たちが同じペースで歩みを進めるわけではないけれど、向かう先は新しい時代だから、古い価値観や体制に理由なく違和感を感じることがあります。

娘が学校を休みがちになった頃、わたしはこの時代の流れを知っていてよかったと感じています。
すぐに受け入れることができなくても、何を大切に選択し続けたらいいのかを感じられたから。 

親はこの時代の転換期、こどもの様子の変化にとまどうこともあるかもしれません。目の前にいる我が子がどう生きることがしあわせなのか、真っ正面から感じる勇気も必要だったりもします。

学校がすべてじゃないと感じているのなら、その場から離れる選択もあります。仲間はたくさんいますよ。 



今日もありがとうございます。





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