#1 ダウン症の弟が生まれた時

私には5歳年の離れた弟がいます

ダウン症の弟です

小さい頃の私

小さい頃、
私のまわりは年上のきょうだいがいる友達が多かったです
たぶん、3、4歳の記憶だとおもいます
友達と遊んで帰る時、母と二人の家にに帰るのが嫌でした

きょうだいのいる友達が羨ましかったです

そのうち、年下のきょうだいが出来るお友達がいます
弟か妹が欲しいなぁ〜と思ったので、よく母に話していました

そして、うちにも赤ちゃんがやってきます。

弟が生まれて

弟が生まれるときは私は幼稚園児だったので
近所のおばさんの家に預けられ幼稚園へ…
生まれた赤ちゃんは病気で入院、母だけが帰ってきました。

病気ならしょうがないよね
その頃、祖母二人も入院中…
母と私は3つの病院に一緒にいきました

弟の病院と父方の祖母の病院の記憶はあまりないけど

母方の祖母は大部屋で、お見舞いに行くと
みんなが私を可愛がってくれて楽しかったのを覚えています

へんな事に、私にとって病院は好きな場所でした

子供の世界

長く入院していた弟が帰ってきました

ダウン症の弟は生まれた時に便がでなかったので
お腹に人工肛門がありました

病気だと聞いていたので、私は人工肛門にも違和感はなく
「凄いなー」と思っていました

なので、遊びに来たお友達に弟を自慢して
「見て見て!お腹からうんちが出るんだよ」なんて

お友達も「へー!凄いね」と…

大人の世界では考えられない会話ですよね(^^ゞ

健康な弟と病気がちな姉

弟は長く入院して、腕や足には点滴のための切開の跡があり
その後は人工肛門を閉じるための手術をして
お腹にも大きな手術跡がありました

生きるために一生懸命だった弟は小さい私の自慢でした

お腹の大きな手術跡はその後も友達に自慢して見せてました

でも、弟はその後ほとんど風邪も引かない健康優良児に!

一方、私はちょっと無理したり、夜更かし、疲れると
すぐに熱をだし、40度の熱もたびたび出しました

点滴したり、肺炎になりかけて入院したり、
骨折したり、足を切って縫ったり、
病気が治る場所なので、やっぱり病院は好きでしたね

私は小学校低学年までは、よく病院通いでした
ダウン症の弟と、母はいろいろ心配だったでしょうね

きょうだい児

むかしは知りませんでしたが、
障がい者のきょうだいは「きょうだい児」だそうです
ダウン症の弟が生まれて私も「きょうだい児」になりました
私にとって障がい者の弟の認識はありましたが
赤ちゃんの弟は可愛くて、
私はきょうだいが出来て嬉しかったです

40年も前の話なので、今の参考になるかわかりませんが
私も「きょうだい児」として、いろいろありました
少しずつ、noteに書いていけたらいいなぁと考えています。

文を書くのが苦手で、ちゃんと伝わっているか心配です
わからないことなど、コメントいただき、
勉強したいと思います
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読んでくださりありがとうございます。自分の考え、経験しかありませんが、私の考えで、誰かの気持ちが軽くなるといいな。