見出し画像

本は流動体?:<コンテンツ>が「本」になるとき

本ってなんだっけ?

本というと、形としてどんなものを思い浮かべます? 
やっぱり紙を綴じてパッケージ化した「書籍」のことをまず考えるでしょうか。書籍というと、固い表紙のついた、ある程度厚みのある本が想定されます。それが本の原型と思われています(特に日本では)。

葉っぱの坑夫がスタートしたばかりの2000年ごろ、最初に作った本は100ページに満たない、薄くて小さな本でした。しかも表紙もモノクロ。表参道の本屋さんに置いてもらおうと思って売り込みに行ったら、「これが<本>???」とびっくりされました。また別の本屋さんでは、パンフレットと間違えられるから、こんな小さな本は置けないと言われました。あるいは、こんなに薄くては棚に挿せない、と。

そのとき、本というものが、いかに形態や大きさ、厚さのイメージに縛られているかを思い知らされました。本って、中身の話じゃないんだ。内容物である文章とか絵とか写真が問題ではなくて、「本という形」を成しているかどうかが、本であるかどうかの証明になるんだ、とわかりました。

シカゴのチャップブック、ポートランドやスイスのジン

葉っぱの坑夫がなぜそんな小さくて薄い本を作ったのかというと、それにはモデルがありました。シカゴの非営利出版社 A Small Garlic Pressというところが、オンデマンド印刷による薄くて小さな、詩の本をたくさん出していました。その中に英語で書かれた俳句の本があって、それを購入したのです。

A Small Garlic Pressのチャップブック

アメリカの詩人による俳句集は20ページ、ロシア人の留学生が英語で書いた俳句集は50ページくらい。A5サイズくらいの大きさで、表紙はカラーのボール紙。印刷はたいていモノクロです。こういう本を彼らはチャップブックと呼んでいました。(チャップブックの語源は、17〜19世紀にヨーロッパで商人が売り歩いていた、薄くて小さな大衆向けの本のようです)

当時のオンデマンド印刷機の場合、300部くらい刷るのがコスト的に理にかなっていて、500部だったらオフセットの方がいい、という感じでした。葉っぱの坑夫も当時この方法で作った本は、300部が標準でした(ただしその後、重版したものもあります)。

同じ頃、フランスの友人もこのような簡易な形態で詩集を作っていたので、チャップブック形式の本は、世界的にみて標準的なスタイルだったのかもしれません。

ポートランド(オレゴン州)にあるMicrocosm Publishingも、1990年代後半から続くインディペンデントなzine(ジン)の出版社です。ジンというのはmagazineのzineから来たようで、DIY的な簡易な本のことを指しています。

のちにスイスのインディペンデントなアート出版社Nieves(ニーブス)が、同様の簡易な冊子をzineと言って作りはじめました。こちらはオンデマンド印刷ではなく、モノクロのコピー機を使っての複製でした。

Nievesのzineのカタログ

最初は「コピー機でアートブックをつくるの?!」とびっくりでした。でもこれは若手のアーティストたちの間で知られた手法だったみたいで、このザックリ感のある手法も含めて(ただしNievesのジンは印刷や造本において非常に精緻でした)、一時期すごく人気がありました。日本でもインディーアート好きの間で話題になって、日本人アーティストもときどき参加していました。部数はたいてい100部くらいで、人気のあるものはどんどんsold outになっていました。

葉っぱの坑夫も、2冊ほどニーブスと共同でアートブックを作ったことがあります。ミヤギユカリさんの絵による『AKAZUKIN』と『Rabbit and Turtle』です。ただしそれはコピー機ではなく、オフセット印刷、フルカラーでしたが。2者で出資して制作したので部数も多く、印刷は1000部でした。

AKAZUKIN(AD:服部一成)とRabbit and Turtle(AD:有山達也)
葉っぱの坑夫のコピー印刷によるzine(鼠小僧のみAD:宮川隆)

ウェブのコンテンツから本をつくる

さてスモールガーリックプレス(ASGP)のチャップブックに戻ると、ここで購入した2冊の俳句集は日本語訳をつけて、葉っぱの坑夫のサイト上の最初の出版物となりました。出版物、というと日本語だと抵抗があるかもしれませんが、葉っぱの坑夫では、サイト上の作品を出版物といい、作品を公開することを出版(publish)と呼んでいました。

それは創設当時、協力者として翻訳その他を手伝ってくれていたカナダ人の友人が、「作品をサイトに載せることを英語でなんて言ったらいい?」と聞いたとき、「publish」と答えたからです。なーんだ、そうか、出版か、と。

2000年頃、日本ではウェブサイトのことを「ホームページ」と呼んでいて、その主宰者のことを「管理人」と言っていました。管理人??? 誰ひとり作品を掲載することを「出版」とは言っていませんでした。出版なんて大袈裟な、もっと軽い感じだよ、「本じゃないんだから」ということだったのかもしれません。

でもわたしから見ると、本とウェブサイトのコンテンツは同じ意味をもっていました。だから出版する、というのが気持ち的にもピッタリでした。

そして最初にウェブ上で出版した二つの俳句集『ニューヨーク、アパアト暮らし | tenement landscapes』と『ロシア語ハイク日記 MOYAYAMA』につづいて、いくつもの翻訳作品を出版していきました。その中には日本語から英語に訳した作品もいくつかあります。山尾三省さん、木坂涼さんの詩や多和田葉子さんのエッセイなどです。

そしてウェブ上で発表した作品から、いくつかをパッケージの本にしていきました。理由は読者の窓口を広げるためです。ウェブでの出会いだけでなく、紙の本としても書店などリアルワールドで、読者と出会う機会をつくりたかったのです。だから紙の本にした後も、ウェブ上のコンテンツはそのまま残してあります。(日本では、多くの商業出版社は、書籍化したらサイトのコンテンツは消去しています)

ウェブのコンテンツから本にした作品は、これまでに10冊くらいあります。逆にパッケージの本を作ったあとに、それをウェブ作品にしたものもあります。スケートボーダーたちの作品で知られる写真家のアリ・マルコポロスさんの『The little mark on my cheek / ぼくのほっぺのちいさなあざ』などはそれに当たります。それ以外は、ウェブのコンテンツのみだったり、パッケージの本だけだったりします。

The little mark on my cheek(AD:宮川隆)

と、作品のコンテンツ(中身)は、流動物のようにあっちのメディア、こっちのメディアとフロー状態で流れていき、それぞれの枠組みに収まります。枠組みが変われば、中身は同じでも、見せ方が変化したりもします。それぞれのメディアに合った方法を取るからです。たとえば『The little mark on my cheek』は、パッケージでは二折りジャバラの長い長い特殊形態の絵本でしたが、ウェブでは音声作品とフォトムービーになりました。(因みに、使用言語は英語、日本語、ジャパングリッシュの三つ)

新しい出版形態としてのウェブ、POD、kindle

ウェブでも、紙の本でも、電子ブックでも、出版物(publication)という意味では大きな違いはないのかな、と思います。違うとしたら、ウェブの場合はコンテンツが「not found」になってしまったりして、発表後の閲覧の確実性が低いかもしれません。サイトが引っ越ししたり、ドメインが変わったりということもあります。それに比べると、紙の本は物体なので、なくさないかぎり手元にいつまでも置いておけます。が、それによって置き場に困ることも出てきます。kindleなどの電子書籍は紙の本とほぼ同等の確実性があるはずですが、まあ物体ではないので。これはライブラリーがいっぱいになっても、家の中で場所をとることはないです。

この三つ、出力の形態は違いますが、元のソースは同じです。データなので。ウェブに載せていた作品を紙の本にする、という場合も、そのまま使えます。また電子書籍にするときも同じです。服を着替えるように、簡単に内容物の移動ができるんですね。(この場合、からだがデータです)

ただテキストの場合、ウェブの基本は横書きですが、紙の本や電子書籍にするときは、多くの出版物は縦書きに変えられています。ここには日本人の「本」に対する想いがあるように思います。日本語は縦書きで、という。

横書きのテキストを縦組みにするときは、少し面倒なことが起きます。英語などの欧文の文字列をどうするか(横組みのまま縦に置くしかない)、年号や数字的な文字列をどう扱うか、どう統一性を計るかなどルールづくりが必要になります。といっても、これはなかなか簡単ではないのですが。数字が一桁のとき、二桁のとき、三桁以上のとき、、、など。

その点、横組みなら何の問題もありません。ウェブから本へ、本からウェブへ、テキストの書き換えなしにスルッと行き来できます。

本を考えるとき、歴史的な流れの中(これまでどんな風に本を作ってきたかを継承する形)で本の形態やテキストの組み方をイメージすると思います。本という枠組みの中で、本について考えるということです。でもそこを外して、コンテンツという見方をすると、あるのは内容物であるデータであり、それをどう収めるかは別の問題となります。

実は葉っぱの坑夫はこれまで、紙の本でもkindleでも、ほとんどの本を横組みで作ってきました。初期の本で縦横混合組みという特殊な本もありましたが。それは英語俳句の本で、英語原文は横組みで、日本語訳は縦組みで、隣り合って並んでいます。

英語俳句の本(AD:宮川隆)

現在制作中の本の一つは、ビジュアルの入った小説ですが、それは縦組みを予定しています。葉っぱの坑夫の本としては珍しいスタイルで、ちょっとした実験になります。一般的には、小説を横で組む方が実験的なのですが。

アマゾンのPOD(プリントオンデマンド)の仕組み

ここでPODについて少し書いてみます。print on demand。オンデマンドというのは、近年は映画やスポーツの視聴サービスでたくさんあるので認知されていると思います。on demand = 要求に応じて。注文ごとに。

ではプリントオンデマンドはどういうものなのか。上に書いた2000年当時は、注文に応じて1部ずつ印刷するものではありませんでした。が、今の、アマゾンのオンデマンド印刷は、注文に応じて1部ずつ印刷します。

このメリットは何か。版元にとっては在庫を持たなくていい、ということがまずあります。多くの出版社が出したけれど売れなかった本の在庫の扱いに困っていると聞きます。そのための倉庫が必要だったり、ときに断裁・廃棄となるものもあります。今の時代ということでいうと、SDGsの思想に反してますね。それでも商業出版社は本を作りつづけなければやっていけない事情があって(日本の出版業界特有のシステムも原因して)、一定部数を印刷して売るという方法をやめられません。

この方法だと、発売時にできるだけたくさんの部数を売ることが求められます。逆にこの方法が難しい非営利やインディペンデントな出版社の場合は、オンデマンド印刷による本の出版・販売にメリットが出てきます。また個人で1冊か2冊、どうしても出したい本を出版する場合も。

アマゾンのPODの仕組みは、出版元側が本のデータを(アマゾンの印刷機の仕様に沿って)PDFに吐き出し、データをアマゾン側にアーカイブしてもらいます。そしてサイトで販売が始まり、ユーザーから注文が来たら、アマゾンが注文分を印刷して顧客に発送します。版元はデータをアマゾンに送るだけで、あとはすべて向こうが処理してくれます。これは以前、葉っぱの坑夫が全国の書店や取り次ぎ店(卸業者)に、本を箱に詰めて送っていたときのことを考えると本当に楽です。(これがないと、制作のみに集中できます)

利益面でいうとどうか? 確かに5万部、10万部と刷って全国の書店に配本して、たくさん売った場合の利益とは比べられません。大まかに言うと、本の印刷コストとマージンをアマゾン側に支払います。ただ、これは本が売れた後です。本のデータをアーカイブするところまでは、費用がかかりません。つまり初期投資は、制作にかかるコストを除けばゼロです。
*制作にかかるコストは当事者の技術的スキルや本の制作に関する知識によって違ってきます。InDesignなどを使って、自分でPDFに吐き出す前のデータが作れるかどうかなど。人に頼む場合は、そこにコストがかかります。

印刷は、基本コスト+ページ数によるコストの総計で、ページ数が増えるほどコストの絶対値は上がります。現在は日本のアマゾンでも、本文フルカラーの本が作れるようになりました。ただし印刷コストはモノクロより高いです。葉っぱの坑夫は2018年に、初めてこのカラー印刷をつかって絵本を作りました。

初めてフルカラーで作ったPOD絵本(AD:⻆谷慶)

PODの本は仕様としてはペーパーバックです。サイズはカスタマイズできるので、好きな判型、縦横比で作れます。価格づけはほどほどにしておいた方がいいように思います。1冊ずつの利益を多く取るより、買いやすい値段にした方が結果として多く売れるかもしれません。昔のオンデマンド印刷本(おそらく1冊ずつ刷る場合)は、1冊が3000円とか4000円とかしていました。本としては高額で気軽に買えません。

アマゾンのPODの場合は、ページ数にもよりますが、1000円前後くらいから値付けが可能です。たとえば葉っぱの坑夫が去年出した『オオカミの生き方』は74ページの本で、税込で880円です。スティーヴ・ライヒのインタビュー集も80ページで税込880円。136ページの『南米ジャングル童話集』は税込1320円です。まあページ数がないとはいえ、絶対価格としては高くないので、興味があれば買える値段かな、と。328ページの『イルカ日誌』は税込2200円、372ページの『ディスポ人間』は税込2310円と少し高くなりますが、最近の本の価格設定でいうと、それほど高くはありません。わたしが最近買った紙の本でいうと、『ペンギンの憂鬱』が315ページで税込2200円ですから、ほぼ同程度です。

ずっしりと重い厚手の本(表紙デザイン:宮川隆)

本を作ったり買ったりするときの選択肢

アマゾンのPODで本を作って売る場合は、商業出版がやっているような発売記念イベントや書店での新刊の顔出し、各種媒体での宣伝といったものはありません(やることは可能でしょうが)。その意味で発売時に爆発的に売れる、ということはなく、長く細くゆっくりと売る(アマゾンの言うロングテールですね)ことになります。一般の本が、発売時の売れ行き状態に多くの期待がかかっていることと対照的です。逆にこの売り方の場合、長くゆっくりの方は苦手かもしれません。半年もすると、新刊書が書店の棚から消えていることはよくありますから。また初版時に売り切った場合、その後重版されず絶版になってしまうものもあります。アマゾンのPODでは(版元が販売停止にしない限り)絶版はありません。

もう一つ、アマゾンのPODでの出版は、キンドル版でも並行して販売することを推奨しているように見えます(特にアメリカのアマゾン)。これはとても合理的で、上にも書いたように、同じデータをキンドル用に作り替えて、アマゾンにアーカイブすれば、そして両者を紐付けすれば、販売ページで二つのヴァージョンが並んで表示されます。これは読者にとっても利益があるのでは。わたし自身は本を買うとき、キンドル版があれば迷わずそちらを買います。また葉っぱの坑夫のPOD本も、すべてキンドル版を揃えています。キンドル版は葉っぱの坑夫のほとんどの本で500円(本体価格)にしています。キンドル版はマージンのみアマゾン側に支払えばいいので(印刷コストがない分)、理論上、安く販売できます。

こんな風に2バージョンが並んでいる

キンドル版と紙の本版、アマゾンではこれに加えてマーケットプレイスというのがあります。わたしは本を買うとき、この三つの中からそのとき自分に適したものを買います。古い出版年のものはたいていキンドル版はありません(日本では出版社のキンドル版への関心や取り組みが遅かった)。なので選択は二つに絞られます。価格を考慮しつつ、マーケットプレイスで買うことも多いです。紙の本で、新しい本で買いたい、という欲求は、わたしの場合それほど強くありません。キンドル版を優先するのは、場所も取らないし、読む際の自由度も高いし(フォントの大きさやライトの具合を変えたり、気軽にメモしたり、ハイライトしたり、他の読者のハイライト箇所を楽しんだり。また大部の本でもキンドル版で読めば、軽くて手に馴染むのでベッドでの読書にも適している。また洋書の場合、海外発売と同時に購入できる。これは大きなメリット)、利点が多いからです。

まとめ

本というものを、歴史的に「本とされてきたもの」の範ちゅうで考えようとすると、いろいろある選択肢も消えてしまいますが、<コンテンツ=人から人に伝えたい内容>をどう扱うか、それをどんなメディアでどんな風に読みたいか読ませたいか、と思考の枠組みを外してみると、これまでにない自由な発想で「本」をイメージできるようになります。

たとえばキンドルやPODであれば、ひとまとまりの小説(あるいは連作短編作品)を、分割して制作、販売することも可能です。大部の長編で読み切れるか読者に不安を与えるような本も、著者の紹介やその本の解説をまじえて、最初の1章分のみを販売してみるとか。その反応を受けて、最終的に全編を収めた「分厚い」本にすることも可能です。

これまでの紙の本の形態というのは、コンテンツの性質からだけ決められるのではなく、印刷コストや商習慣に縛られての決定だったりもするのです。

アマゾンPODでは、小は24ページ、大は800ページ強(!)までの本が作れます。サイズも最大A4くらいまで。また契約を別途結べば、アメリカ、イギリス、ドイツなどの海外のアマゾンでも販売できます。その場合、印刷は海外アマゾンのPOD機で行ない、データのみ転送することになるのだと思います。これって、すごいことだと思いませんか。

本って、ブツだとばかり思っていたけれど、もっと流動体な存在で、最終形態としてブツになることもある、っていうだけの話。これが2022年現在の本の真実だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?