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子供時代の貧困と虐待生活 -10-

まともな勉強ができない家庭環境で、偏差値は最低エリアを行き来し、それでもなんとか私立の工業高校に受かり通うようになった。
あまりお利口な学校ではなかったので、バカみたいな髪型をした生徒や、やたらと喧嘩をしたがる生徒がたくさんいる、掃き溜めのような学校だった。

本当は公立の高校に行くのが貧困家庭としては正しい選択なんだろうけど、偏差値の一番低い公立の高校ですら受からないレベルの学力しかなかったため、学費の高い私立に行くしかなかった。
とりあえず貧困家庭なので市の奨学金を借り、高校の母子家庭支援制度みたいな学費免除の制度を利用してなんとか通うことができた。
高校を卒業し、まともな社会人になるために、僕は中学卒業とともに借金を背負うことになったのだ。

僕は入学とほぼ同時に地元の某ハンバーガーチェーン店でアルバイトを始めた。
店長は気持ちの悪い変態ロリコン野郎で、高校生のバイトの女の子に気持ち悪い発言を繰り返していたため、とても嫌われていた。
そして男子高校生のバイトにはやたらと厳しかった。果てしなくムカつくヤツだったけど、あまり気にせず働いていた気がする。

週に3日位働いて給料は月に4万~5万くらい。
昼の食費は自分で出していたし、学校までの交通費も自分で出していた。当時は恥ずかしい話だけどタバコを吸っていたのでそういった出費などがあり、結局貯金できるほどのお金はまったくなかった。

母は一切お金を出してくれなかった。
いや出せなかったと言う方が正しい。
というかそんなお金、僕の家にはなかったのだろう。

母が僕のために一生懸命がんばっている姿なんて見たことがない。
子供のために母自身が頑張ってお金を稼ぐなんて微塵も思ったことがなかったのだと思う。

当時、僕がアルバイトをしてなんとか学校に通っていたので、僕に対する直接的な言葉の暴力はあまり言わなくなっていた気がする。もしかしたら僕が忙しかったから、そんなことに気を病む余裕すらなかったのかもしれない。

僕は家が安心する場所だって思ったことはなかった。
祖母は相変わらずパチンコ狂いで、お金がなくなったらアルバイトをしている僕にお金を借りに来ていた。
恐ろしいことに僕の給料日を把握していて、給料日当日にお金を借りに来る。パチンコで負けて生活費がないから貸してくれと言っていた。
そんな家庭に団らんなんて存在しない。
僕は自分の家に平和を感じたことがない。
だから早く家を出たかったんだけど、バイトのお金は生活費や交通費で消えていくし、家を出る資金を貯金する余裕はなかった。

高校時代にこれといった思い出は特にない。
バイトをしてなんとか学校を卒業した。ただそれだけだった。

基本的に工業高校は卒業と同時に地元の企業に就職する生徒が多い。
だけど僕たちの世代はバブル経済が崩壊し日本が大不況に陥っていた頃で、のちに就職氷河期と呼ばれる時期に突入した最初の世代だ。
まともな就職先なんてなかった。

貧困家庭、毒親に加え、卒業と同時に社会の荒波が襲いかかる。

そんな中、僕は社会に放り出されることになる。

つづく

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