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"ほいと"の子

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30年前、両親が離婚し母に連れてこられた九州の地で体験した、「毒」家族日記 読みやすいように各記事を短めの文章にしてます
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2018年8月の記事一覧

子供時代の貧困と虐待生活 -6-

僕の家の経済状態は一般の人が引くくらい悪かった。
母は全然働かない。収入は生活保護のお金だけ。
父からの金銭的な支援もなかった。母は見栄っ張りなので、僕の父からの支援を断っていたフシがある。
だから僕の家は本当に貧しかった。

中学に上がると、僕は割と勉強が好きになった。でも学校の授業だけでは正直ついていけない。学校の授業はカリキュラム通りにドンドン進むので、わからないことが出てくるとドンドン取り

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子供時代の貧困と虐待生活 -7-

子供時代の貧困と虐待生活 -7-

働かない母、強いられる貧困。僕は新聞配達をし、母に食費を徴収されていた。残りのお金で僕はタバコを買い、そして不良の仲間入りをしてしまう。

学校で不良に混じってタバコを吸うようになった。

そのうち、なんとなく家でもタバコを吸うようになった。
そんな僕を見ても母は注意するどころか、タバコを吸っていることを認めていたように思う。

今考えるととてもバカみたいなことなんだけど、不良息子の母親と周囲から

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子供時代の貧困と虐待生活 -5-

子供時代の貧困と虐待生活 -5-

子供というのは自分の家庭が社会のすべてだ。どんなにひどい家庭であっても、生活は毎日続き、当たり前の日常になっていく。

僕は中学校に入学した。

僕が住んでいた地域は、以前も話したように治安があまりよくなかった。中学には時代遅れな服装や髪型をした、いわゆる不良たちが何人もいた。
はっきり言ってそういう人たちとは関わりたくなかった。平穏無事に中学生活を送りたかった。

しかしそんな僕の思いを打ち砕く

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子供時代の貧困と虐待生活 -4-

子供時代の貧困と虐待生活 -4-

アル中の祖父の心無い一言で、母はお化け屋敷のようなボロいアパートを借り、僕と二人きりの生活を始めた。

だがこの二人きりの生活は、母親をどんどん怠けさせることになる。

今まで他の大人たち(僕の父や、祖父母)がいたから嫌々ながらも家事をこなしていた母だったが、僕と二人きりの生活が始まり、そういった周りの大人たちの監視の目がなくなった途端に、母は家事をほとんどしなくなった。

深夜遅くまでダラダラと

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