子供時代の貧困と虐待生活 -6-

僕の家の経済状態は一般の人が引くくらい悪かった。
母は全然働かない。収入は生活保護のお金だけ。
父からの金銭的な支援もなかった。母は見栄っ張りなので、僕の父からの支援を断っていたフシがある。
だから僕の家は本当に貧しかった。

中学に上がると、僕は割と勉強が好きになった。でも学校の授業だけでは正直ついていけない。学校の授業はカリキュラム通りにドンドン進むので、わからないことが出てくるとドンドン取り残されていく。
塾に通ったり、家庭教師の人を雇ったり、そんな余裕はうちにはなかった。

僕は新聞配達を始める。
そのアルバイト代で、塾は無理でも参考書くらいなら買えるだろうと思ったからだ。

朝早く起きて、自転車で新聞を配る。夏の早朝は心地いいくらい涼しく、冬なんかはまだ朝は暗く、吐く息は白い。

あまり覚えてはいないけど、多分給料は大したことなかったと思う。中学生が配れる範囲なんてたかが知れてるし、月に1万円もいかない程度のアルバイトだったような気がする。

本来なら家計の足しにするべきなんだろうけど、愛情の欠片も感じたことがないので、その発想には至らなかった。
でも母は、強制的に僕の給料を徴収する。
言い分はこうだ。

「子供育てるのもタダじゃない。食費くらい入れろ」

確かに僕の家は貧しい。
本来なら家計を助けるべきだとは思う。
でも…。
こうなったのは僕が望んだことじゃない。大人たちの勝手な理由だ。お金が必要ならなぜ母は働かないんだ。父からの経済的な支援をお願いすればいいんじゃないか。

僕は納得いかなかった。でも中学生の貧弱な語彙では言い返すこともできず、しぶしぶ食費を払うことにした。
働きもせず朝はいつまでも寝ている母の代わりに、僕が早く起きて一生懸命働く。そして得たお金の一部を母に渡す。

残るのはわずかばかりのお金。

僕はわずかに残されたお金で、参考書を買わずにタバコを買ってしまう。
好きになりかけた勉強も、結局学校の授業についていけず、ほとんどしなくなった。

僕は不良の人たちと絡むようになった。

つづく

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