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子供時代の貧困と虐待生活 -7-
働かない母、強いられる貧困。僕は新聞配達をし、母に食費を徴収されていた。残りのお金で僕はタバコを買い、そして不良の仲間入りをしてしまう。
学校で不良に混じってタバコを吸うようになった。
そのうち、なんとなく家でもタバコを吸うようになった。
そんな僕を見ても母は注意するどころか、タバコを吸っていることを認めていたように思う。
今考えるととてもバカみたいなことなんだけど、不良息子の母親と周囲から見られたがっていたフシがある。
僕は母が何を考えていたのか大人になった今でもわからないんだが、肝の座った母親への変な憧れがあったようだ。
そんなわけで、母はタバコを吸っている僕を注意するどころか、吸うならとことん吸えと言わんばかりの態度だった。
そのうち僕は授業をサボったり、家は出るけど学校に行かなかったりするようになる。
だがさすがにそれでは世間体が悪いのか、祖母が僕を説教をするようになった。
しかしこの祖母も毒持ちで、僕が小学生の頃は僕や従兄弟をパチンコに連れていき、代打ちさせていたという狂った人物である。とにかく周りにまともな大人がいない。
祖母の言い分は、僕がシッカリしないと母親が悪く見られる、ということだった。
この言葉は今でも忘れない。
母は一切悪くなくて、僕が全て悪いと言ってきたのだ。
毎朝子供を見送るために起きることもせず、昼の弁当も作らず、働きもせず、子供に働かせて生活費を子供から徴収し、理不尽なことで突然怒り出す。
そんな母親には一切罪はなく、すべて僕が悪いと言って素行を改めよと言ってくる祖母。
僕は納得がいかなかった。
僕の周りには誰ひとりとして味方はいなかった。僕のことを理解してくれる人が一人もいなかった。
子供から大人になる時期にこういう環境で育つと、大人になってもこの苦しみは延々と続く。おそらくこの嫌な感覚は一生背負っていくことになるのだろう。
そんな暗い中学生活を送っていたある日、一本の電話が入る。
関西に一人で住んでいた父が危篤だという電話だった。
つづく
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