【第一声は・・・】
午後は、面会が再開された。お袋と親父と妹が見舞いに来た。
第一声は、「大丈夫なの?」だった。
心配そうな顔だった。
僕の方は、余計なことは言わず「大丈夫」とだけ答えた。
本当は、大丈夫でもなかったが強がった。
感染対策で面会時間は、15分しかなかった。
でも、これぐらいがちょうど良く感じた。
あれこれ聞かれるのも面倒だからである。
ありがたいのだが・・・
ナース達も結構見てるようで「ご家族の皆さん面会に来てましたね~」「妹さん2人いるんですね~」とか入れ替わり立ち代わりで言われた。
これはこれで、同じ事を言わないとならないので大変だった。
年子の妹は、毎週来てくれた。
「お兄ちゃん、顔がボロボロで汚いから」と言って、妹の自宅からポットにお湯を入れ、桶と一緒に持ってきてくれた。
そして僕の顔を拭いてくれた。
その拭いたタオルは、想像以上にこ汚なかった。
顔を久しぶりに鏡越しに見ると、皮はめくれ酷いありさまだった。
これが現状なんだと改めて思った。
顔を拭いた後に化粧水と乳液が混じった「ピュアナチュラル エッセンスローション」を塗りたくられた。
肌に水分が吸収されていくのが分かった。
この先も妹のおかげで色々助かることになる。大変だっただろうに。
いつも本当にありがとう。感謝している。
イケメンヘルパーも毎週火曜日に来てくれた。
うちの妹は、水曜か木曜日。
いつしか15分という時間が、僕の心に温かいぬくもりを感じさせた。
彼はいつも心の支えになってくれた。
そう言えば昔、イケメン君が入りたての頃・・・あれは10年ぐらい前だったと思う。
当時もヌケ作に首をやられ両手が痺れ寝られなくなり、体重も減りヘロヘロの状態になったことがあった。今も後遺症で指先に痺れが残っている・・・
その時も諦めかけたリハビリを思い直すように諭してくれた。
「もうリハビリは無理、諦めよう」と言った時に、彼は言ってくれた。
「大丈夫ですよ!僕が支えますから、一緒に頑張りましょうよ!」
と、僕を鼓舞した。彼が僕の心を救ってくれたのだ。
マジで泣きそうだった。今書いていても、当時を思い出すと熱いものがこみ上げてくる。
いつも僕の力になってくれ、大変感謝している。
その一方でヌケ作は、自発的なお見舞いにも来ず、口だけの謝罪で終わっていた。
ヌケ作の親は、ある業界では有名人らしい。日本で行われたワールドカップでスペイン語の通訳をしたとヌケ作は言っていた。
彼は、ボンボンのようだった。甘やかされて育ってきたのだろう。
親のしつけは、どうなってるのか?と思う事もしばしばである。
が、しかしヘルパーの人手不足から彼にもいてもらわないと困る現実もある。
身体が不自由と言う事は、ジレンマの連続である。
支えてもらっている以上、自分も大人にならないといけないのだろうと思う。
つづく
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