ハードル

  前向き過ぎる無職生活が終わる。仕事が決まったのだ。
 一年毎の更新で、最長五年の任用期間を設けられた仕事。学校の図書館司書…図書室の先生というやつである。
 引継ぎというものに行って打ちのめされた。ハードルが高過ぎる。
 仕事はしながら覚えて行く…仕事とは私の中でそういうものだったが、想像以上の激務が待ち構えている様子だ。引継ぎに行ったが、勤務にあたって必要な持ち物など、最低限知りたいことが何一つわからなかった。
 一人で二校を担当する。一週間の内、大体交互で別の学校に勤務するのだ。それだけでも結構面倒臭い。未だ働いてもいないのに、既に疲れてしまった。
 改めて、自分がしようとしていることというのは、〝天職を捨てた転職〟なのだと思う。自分の中に元々あった素養とは違ったことをしようとしている…そう実感する。〝天職〟では自然と出来たこと、自然と表に出せたことが、〝転職〟先では表に出そうという行為そのものが、不自然であるようにさえ思えた。
 校長先生がとてもウザい。〝ウザい〟なんて言葉を、普段私は使わないが、〝ウザい〟というのはこういう時に使うのかと、不意に頭に浮かんだ。有り得ない熱弁っぷりだった。しかも、学校のトップに君臨しているだけあって、自分の意見を正しいと信じている。その言動だけでも充分にウザかった。
 自分の〝良い〟と信じているものを推進し、司書職初心者の私に、プラスαであるそのハードルを越えさせようとする。税金から給料を頂き、学校という場所に勤務するからには、子ども達への貢献は職務だと言えるが、求められているものが大き過ぎると感じる。そこまで考える余裕以前の問題だ。しかも始まっていない内から、まるで〝上級編〟のような訴え…。有り得ないと思った。
 働く前からわかっていた。私は〝先生〟というものが嫌いだ。それもずっと昔から…。
〝先生〟と呼ばれる人が居る場所で、今まで幸せだったことはない。心から尊敬出来る〝先生〟というものに出会ったことは、ほぼ皆無であった。
 皆、頭が固い。そして常に指導的だ。
 だから自分が〝先生〟と呼ばれる立場になった時、自分が今まで出会った〝先生〟達を、反面教師にしたのだった。
『自分が嫌だと思ったようなことは絶対しない。』
 自分が理想とする〝先生〟になろうとし、そしてなったと思っている。
 学校自体、ぼろぼろだった。職員室も埃だらけだった。司書のデスクに置かれたペン立ては、いつの時代の物かもわからないくらい古い缶詰の缶で、かなり引いた。雰囲気も激悪だ。
『やっぱり〝先生〟って苦手だ…。』
 司書は司書で、決して教師ではない。しかし子どもにとっては〝先生〟の一人。〝図書の時間〟という〝授業〟を担当するので、やはり〝先生〟なのだろう。
 そんなことはどうだって良い。私にとって〝先生〟は、単なる呼び名だ。〝先生〟と呼ばれる人がすべてエライわけではないことぐらい、とっくに知っている。全くエラくない私も、〝天職〟では〝先生〟と呼ばれていた。
 しかし〝学校〟という場所で〝先生〟と呼ばれている人は、皆それぞれにプライドを持っている。図書担当だと紹介された女性教諭は、とても美しいが気のきつさや司書に対する侮蔑が、その態度や言葉の端々に滲み出ていた。
 学校の先生というものは忙しいという。そんな多忙な毎日の中で、担任するクラス以外の仕事である図書の仕事は毛嫌いされると聞いたことがあった。だからわざわざ、〝学校司書〟という職種を各校に配置しているのだろう。
 私の立ち位置は嘱託職員だ。しかし公務員であるらしい。ボーナスも退職金もないが、兼職兼業は不可とのこと。もしする時は相談するようにと採用担当に言われた。
『相談=クビになるということではないのか…?』
 頭の中だけで考えたが、口には出さなかった。兼職兼業願望はあるが、宛てはまるで無い。天地が引っくり返ってこの文章が本になったら、兼職兼業になることを想定し、喜んでクビになろう。
 前向き過ぎた無職生活…。仕事を得た途端、後ろ向きにUターンした。
 この三ヶ月で決めた覚悟が過る。
『プライベートを切り売りしてでも、一生書き続ける』
 ずっとしたかったのに、ずっと出来なかったことを、この三ヶ月にした。軌道に乗るには時間が少な過ぎたが、生活に余裕がなくても、心に余裕を持って過ごすことの大切さと意義を知った。築いたレールを遮断してはならない…何処かでそう思っている。
 実際、私は夢をみていて、現実逃避しているに過ぎないのかも知れない。しかしこれに関して言えば、私は全く自分を疑っていない。これ程までに曖昧なことを、何故信じられるのかさえわからないくらい、前しか向いていないせいかも知れなかった。
 パソコンを前に綴る言葉、ピアノの音と共鳴する歌…。パソコンとピアノに向かっている時、私は脳が和らぎ、スッキリとリセットに向けて靄が晴れて行くのを感じる。自分のしたいこと、自分が目指すべき場所が、形として見えなくても、わかって来る気がした。
 進むべき道は定まっている。たとえ、取り巻く靄が、実際の命を繋げているとしても…。
 わたしは五年働くだろうか?とてもそんな風に思えない。少なくとも今は、転職が天職に翻るとは考えられなかった。
 明後日から、新しい生き方が始まる。
 私の中では通過点。今はとてつもなく後ろを向いているが、もしここを通らなければ、この先ずっと、通らなかったことを、通るのをやめたことを後悔するだろう。通れなかったことで、ずっと『通りたい』と思い続けるかも知れなかった。
 新しいことをやってみる時なのかも知れない。導かれていると信じてみるべきかも知れない。
 しかし悪い癖を捨てよう。
 私は深刻に考え過ぎる。マイペースを合言葉に、顰蹙を買っても有休を使うし、高いハードルも、取り敢えずはスルーする心づもりで、飄々と生きてやろうと企んでいる最中だ。

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