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何度でも読み返したいnote4

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 こちらの4も記事が100本集まったので、5を作りました。
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2023年3月の記事一覧

「今まで生きてきた中で一番幸せやな…」

タイトルは 昨年、私の中で大ヒットした夫の言葉。 聞いた時はちょっと大袈裟だな…って思ったけど、それが別のシーンで私に影響するとは… 昨年の暮れ そもそも帰省する予定ではなかった一番末の息子が急に帰って来ることになった。 社会人一年目の彼は遠く離れた場所で一人暮らしを満喫中。 盆と同じように正月もあっちでのんびり過ごすのだろうと思っていた。 年末年始のラッシュ時期を狙ってわざわざ帰省するのは面倒だ…と思っているに違いない。聞かなくてもわかる。 それが急に 暮れの押し迫っ

【読書記録】小川糸/あつあつを召し上がれ

私が小学生ぐらいの頃、 うちの両親は共働きだった。 兄二人が幼い頃は、母は専業主婦だったのだが、 私が幼稚園から中学生ぐらいにかけて 母は働き、父は定時に上がる仕事だったので、 夜ご飯を父が作ることが多かった。 うちの両親は自分たちが大変だとか、 手伝いをしろ、とか言うタイプではなく、 私はそれを当たり前のように享受していたと思う。 父が作る料理で、私がよく覚えているのは 牛肉と玉ねぎを炒めた料理だ。 その時期、よく作っていた。 あの頃、私がもっと父を手伝ったり、 父の

誰かになろうとしないこと

新しく配属された職場に、いままで出会ったことのないような"シゴデキ"な先輩がいました。(とんでもなく仕事ができちゃう先輩) 超忙しいのにいつでも話しかけやすい雰囲気をかもしだしていて、情報の整理・伝達も完璧、知識も語彙力もあって、取引先との交渉も上手・・・。 わあ、この会社にはこんなとんでもない逸材がいたのか・・・なんて本気でびっくりしちゃうような、素敵な先輩でした。 そんな先輩から仕事を引き継いでいるうちに、わたしはどんどんと自分に自信がなくなっていきました。 わた

鍵について思うこと

僕の仕事は営業。 十数年のあいだ営業的な仕事をしていると、体に染み付いて来る考え方は「数字が全て」であるということ。 若く無知だった頃は上司にそれを言われる度に多少の苛立ちを覚えることもあった。 「数字に反映されない頑張りもある」と盲目的に信じていた節があったからだ。 もちろんその信念が全て間違いという訳ではないが、やはり営業マンとして会社に雇われている以上、数字、言い換えれば結果が重要であることは間違いない。 ドライなようだが、これは紛れもなく真実。 経済活動というのはそ

障害と個性

昨日、車を運転中にふとしっくりきました。 以前より漠然と考えていた障害は個性か。という問いに対する自分の答えです。 バクゼンさんとのやりとりで、障害を個性だというには割り切れない想いがある。と仰るバクゼンさんをずっと心に留めていました。 私もそれには同感で、ただ何がどうしっくりこないのか、何にもやついているのかを、言葉に置き換えることができませんでした。 昨日、ふと舞い降りたそれは、私の視点として 今の私の解釈としてここに残しておこうと思います。 疾患や機能不全にお

ごめんなさいを、言わなかった。

これは自分のために書いているのかも しれない。 きっと自分が楽になるために。 そうすることがいいことなのか どうなのかわからない。 SNS的でなにかを書くということ その向こうに誰かが読んでいる ということにまだ不慣れなのかも しれない。 とりわけ家族について書くことは なんども自問してしまう。 人はいつか記憶を失うものだし。 そばで暮らしている大切な人が 覚えてほしいことを忘れてしまう ことに今年からずっと直面している。 時々、記憶が揺らぐから

単純で複雑な僕は、その便りで春を乗り越える

「一週間で4人も日本一周している若者に出会ったわ。その姿が私の中にいるあなた達を思い出させたの」 何の前触れもなく、写真と一緒に届いたその便りは忙しい事を言い訳に、再び心を閉じようとしている僕への手紙に感じた。 「一週間に4人も出会う人なんて、君だけだと思う。それがまた彼等にとって良い出会いであることを願うよ」 僕は、精一杯の冗談と一緒に、本当に良い出会いであったらいいなと願った。 彼女が僕達を思い出したように、僕も自分達を思い出させる一言だった。僕達が日本縦断をした

アレですから、ごゆっくり。

三月最初の週末、両親に会いに行った。 少し春めいてきた休日の電車の旅は、車窓も車内もおだやかでのんびりしている。 今回のビールのお供は、とろたく巻き。うまい。大正解。 この至福の時間だけでも、出かけてよかったと思う。 家に入ると、雛人形が飾ってあった。 元々は豪華絢爛七段飾りだったが、両親が地方移住する際にお内裏様とお雛様だけとなった。 私の初節句のために祖父母が用意してくれたもので、人形の街として有名な埼玉の岩槻まで買いに行ってくれたそうだ。生まれたばかりの私に注がれた