【読書記録】小川糸/あつあつを召し上がれ
私が小学生ぐらいの頃、
うちの両親は共働きだった。
兄二人が幼い頃は、母は専業主婦だったのだが、
私が幼稚園から中学生ぐらいにかけて
母は働き、父は定時に上がる仕事だったので、
夜ご飯を父が作ることが多かった。
うちの両親は自分たちが大変だとか、
手伝いをしろ、とか言うタイプではなく、
私はそれを当たり前のように享受していたと思う。
父が作る料理で、私がよく覚えているのは
牛肉と玉ねぎを炒めた料理だ。
その時期、よく作っていた。
あの頃、私がもっと父を手伝ったり、
父の手料理をもっと褒めていたら、
父はあの時期が過ぎても料理を作り続けていたのかもしれないと
ふと、思う。
が、私は父の手料理を当たり前に享受し過ぎて、
父に感謝の言葉を言うこともなかったので、
私が中学生の頃、父は「アホらしく」なったらしい。
ちょうどその頃、自営業も始めて、父は仕事 以外の
空いた時間は自分に使うようになった。
それ自体は別に悪いことじゃないけれど、
母は「家庭を顧みなくなった」と不平をよく漏らしていたから、
責任の一端を感じる。
料理本を見ながら、慣れない手料理をしてくれていた父。
父が作る手料理の中で、一つ父にしか作れない料理があった。
父お手製のスープである。
祖母(父方の)から教えてもらったスープらしいのだが、
料理をしていた時も、その前も、そして、料理をしなくなってからも
それだけは時々作ってくれていた。
私が実家を出てからは作ってもらった覚えがないので、
もう二十年以上は食べていないのでうろ覚えだが、
確か、ニンニクがたっぷり入っている牛肉のスープだった。
大きな大きな寸胴鍋に、細かく切ったニンニクを大量にいれていた。
始めに炒めるのだろうか。
牛肉は多分薄切り肉。
にんじんと玉ねぎのスライスも入っていたと思う。
コトコトコトコト何時間も煮込んでいた。
何度も何度もアクを丁寧に取っていた。
味付けは塩だけだったような…
でも、にんにくの風味が効いていて、
美味しかった。
おかずがそれだけでも美味しくて、
何度もおかわりした記憶がある。
父が亡くなり、母が何度か
「もうあのスープは食べられないね」と口にした。
本当だ。
「レシピ、教えてもらっておけば良かったな」と言う。
本当だ。
「一緒に作ろう」と言ったら作ってくれたかもしれない。
レシピもなくて、父が作っていた様子ももう記憶の霞に
ぼやけてしまっている。
味も、なんとなくこうだった気がする…という記憶しかない。
もう、食べることができない。
そう思うと余計に哀しい。
それは、父に会えない、父と話すことができないと全て
同義だからだ。
「あのスープをもう一度飲みたい」は
「父にもう一度会いたい」と同義なのだ。
小川糸さんの小説は食にこだわりのあるものが多い。
「カタツムリ食堂」や「ライオンのおやつ」など、
じっくりと時間をかけた料理が主人公たちの人生を
優しくゆっくりと癒してくれる。
この7つの短編の中でも、たくさんの美味しそうな料理が出てくる。
小川糸さんの短編は初めてだったけれど、
これはまた長編とは違う趣があって良い。
えっこんなお話も書くんだ、なんて驚きもある。
認知症のおばあちゃんと食べたかき氷、
付き合いたての恋人と食べる豚バラ飯、
同棲していた恋人と最後に食べる松茸の料理、
亡き母から伝授されたお味噌汁、
夫との思い出のハートコロリット、
男性の恋人とのパリ旅行で最後の晩餐を取る男の話、
亡き夫が好きだったきりたんぽ。
辛い時、しんどい時、
温かなご飯が喉を通っていくだけで
救われる瞬間がある。
もう、食べられないあの父のスープを想いながら
「もう一度食べたい」と
また想う。
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