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何度でも読み返したいnote3

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。こちらの3も記事が100本集まったので、4を作りました。
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#ライフスタイル

長月に 揺れる 風鈴のこと

まだ残暑の厳しい九月のはじめ。 灼けるアスファルトの上を 先へ先へと急ぎ歩くなか、 信号待ちに 足を止めたときのことでした。 凛、、凛、、、 どこからか、懐かしい、涼やかな音がします。 日傘を下ろして、あたりを見廻すと、 道沿いの家の軒先に 綺麗な風鈴が一鈴、 下げられているのが見えました。 海月のように丸く 下の方だけ少しすぼめた外見は 縁に向かって青いグラデーションの入った 薄手のガラス作り。 そこへ白い糸が通って、 淡い絵をしたためた短冊が キュッと、結ってありま

一歩踏み出すのは、

ずっと、エスカレーターが苦手だった。いや、今でもちょっと苦手かも。小さい頃、お母さんとデパートに行って、屋上の駐車場から降りる時、恐らく初めてエスカレーターというものに乗った。お母さんは妹の手を引いて一緒に乗って、後ろをひとりで歩いていたわたしは、エスカレーターに乗れなかった。タイミングがわからず、足を出しては引いて、そうしてるうちに長靴が脱げて、わたしの長靴だけが下で待つお母さんのところへ行く。わたしはより一層焦るけれど、やっぱりエスカレーターに乗れなくて、悲しかった。通り

もう海に沈めなくてもいいように

「コンクリートに括りつけて、海に沈めてしまいましょう」 同僚が言い放ったその物騒な言葉を、お守りのように胸に抱いていた時期がある。 その同僚と出会った職場は、博物館だった。 私は、大学を卒業してから、正職員の学芸員になったが、1年半ほど働いたのちに退職した。そのときの私は抑鬱状態だった。 半年ほど何もしない日々を送った末、私は、博物館の非常勤職員と大学の非常勤研究員として働くことになった。 博物館では、学芸員としてではなく、来客対応をする解説員として採用された。チケッ

私はあなたのいない世界で幸せに生きていきますので、あなたもお幸せに。

ふと、考えるときがある。 もう会うことはない、私の人生を通り過ぎていった人のこと。 その人達は好きな人もいれば嫌いな人もいる。 小学生の時に憧れていた近所のお兄ちゃん。 中学生の時に毛嫌いしていた社会科の先生。 高校生の時に私をいじめようとして自滅したあの子。 大学生の時になんとなく付き合ってしまった美容師の彼。 すごく大切で、それがずっと続くものだと思い込んでいたあの人。 良くも悪くも色々な思い入れのある人や、特にそんなに深い思い出もないのに、ふとした時によみがえるもう

「私だけの城」で暮らした3年間

たった3年だったのかぁ。 私が一人暮らしをしていたのは。 それにしても、濃くて、尊い時間だったな、 と思い返す。 社会人1年目で上京して、 会社が借り上げたマンションの一室で住むことになった。千葉県の端で、東京にアクセスのよいベッドタウンだった。 部屋は1k。 新築。風呂トイレは別。 ベッドとコタツを置いたら、あとは通路しかないという狭さだったけれど、十分だった。 (これ以上広いと、寂しくて、眠れなかったかもしれない) 何を食べてもいい。 いつお風呂に入ってもいい。 い

非常にタンゴな「ヘンタンゲ〜」の謎

山手線の車内。 程々に混み合う時間だったが、私はたまたま端っこの座席をゲットできた。 乗車時間が長かったこともあり、ゆっくり座ってウトウトとしていたのだが、眠りを誘うような車内のほどよい雑音の中、私の耳はある単語をキャッチした。 ザワザワ.... 「ヘンタンゲ〜〇〇」 「ハハハ」 ガヤガヤ.... 「ヘンタンゲ〜〇〇」 「アー!ヘンタンゲ〜〇〇!」 ヘンタンゲ? なにやら聞いたことのない単語が聞こえてきて、目を開けると、ちょうど私の前に立っていた男性二人が仲良く