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【短編小説】風の時代がそよぐクリスマスイブ

奈美子には大切にしている言葉がある。

「私は男が途切れたことがない」

もはや座右の銘といってもいい。自分の心を奮い立たせ、時に落ち込んだ心を慰め、浮上させる言葉なのだ。

常に彼氏がいる…これこそが私の価値そのもの。この状態を保つことが、彼女の自信の源であり、周りの女に優越感を持てる唯一のポイントであり、心の安定剤なのだ。

実際、中1の時から彼氏がいる。もう10年、「彼氏いない歴」がまったくないと自負している。別れを告げられても、その瞬間に2番手が主席に昇格するだけだ。別れを告げる時は、次なる男を既に周到に確保している。

華奢で小柄で前髪を垂らしたセミロング。大きな瞳の下には絶妙な大きさの泣きほくろ。男に「愛くるしい」と思わせる天賦の才を持っていると奈美子は自覚している。

視線をそらしつつ、ここぞという瞬間に瞳をきらきらと輝かせて男をじっと3秒間だけ見つめてみる。これだけで、男は「愛くるしい」から「守りたい」と思うそうだ。

男は単純だ。そんな男の習性が垣間見えるこの瞬間が、奈美子にはたまらない。男ってなんて弱くもろいんだろう。そう感じたときのふわりとした高揚感がたまらない。女の武器を纏い勝ちに溺れることの心地よさよ。

「私、彼氏が途切れたことないんだよね」

食事に誘った男に、決まってこのセリフをつぶやく。じっと見つめながら。その時、目が泳ぎうつむき加減になると、その瞬間その男はアウトになる。実に分かりやすい彼氏候補採用試験だ。

高校2年のころ、彼氏には「セフレ」も含まれることを知る。体だけつながっている関係でも、世間の男女は「恋人」と呼んで、「私はひとりじゃない」と心満たされぬ自分を慰めていることに気づく。

「愛くるしい」私は好きになるに値する女だから。私は体だけに存在価値がある「セフレ」にはなったことがない、はず…

次郎が「彼氏」になって1年。クリスマスイブの訪れとともに、奈美子は次郎との去年のイブのLINEのやりとりを見返していた。


***


「今日はイブだね」

次郎から一言だけのLINE。たったこれだけなのに、彼の心の震えが伝わってくる。

「うん、そうだね。昨日、自分用にケーキを買っちゃったの」

奈美子は次郎の心をさらに試す変化球をいきなり初球から投げてみる。語尾の「の」が放つ余韻の効果を奈美子はよく知っている。

「え、今日はひとりで過ごすの?」

「そうかも…」

「かも」も重要な接尾辞だ。不確定要素があると男はさらに心躍り、期待と恐怖が交錯する。

でも次郎は意を決していたのか、即レスしてきた。

「イルミネーション、見に行かない?」

すぐ既読。そっと放置。

そして3時間の時を数えてから、

「うん。」



***


あれから1年。

奈美子は次郎と一度もケンカしていない。

次郎は奈美子が何を言っても一切怒らない。だまって話を最後まで聞いてくれる。3時間もの深夜の長電話でも、奈美子が90%以上しゃべりまくっても、彼は不満を全く見せず、最後に電話を切る音もしっかり聞き届けてくれる。

奈美子が「ムリ」な日もちゃんと察してくれる。そっと「ゆっくり休んでね」と一言だけのLINEを添えてくれる。逆に、狂おしいくらいに会いたい日は、仕事が終わりそうな時間を昼までに教えてくれる。

彼の自我を消した平易なやさしさは、今までの幾多の彼氏にはないものだった。男は抑え込んだ自我を爆発させて自滅する。男の必敗パターンを何度も見せられていた。でも、この男には自我を一切感じさせないのだ。

まるで私に仕えるために生まれてきてくれたような男である。私の前では、彼の自我は一切見えない。実は彼は私に都合がいいようにプログラミングされたAIなのではないか?

去年のイブのLINEで見せた決死のアプローチは、本当に次郎本人が書いたのか?意気地がない次郎に変わって誰かが「代筆」したのではないか?そう疑ったこともしばしばだった。でも、彼に問い詰めることができなかった。

1年前のイブ、彼にはたしかに自我があった。奈美子に拒絶されたらどうしようという緊張感が次郎からにじみ出ていた。でもその後の1年、次郎は何の抵抗もしない「彼氏」でい続けた。

何もかも叶えてくれる、何の不満もなくついてきてくれる。私の行きたいところに連れて行き、私の食べたいものを食べさせて、私が満たされたいときにそっとすき間を埋めてくれて…

この上ない、100点満点の彼氏なのに、奈美子ははたして「人間」と付き合っているのか。次郎との間の甘い空間に、いつぞやからもやが差し込み始めているのを感じていた。

それでも時間が淡々と過ぎる。いつの間にか1年を迎えようとしている。

2020年12月24日、今年のイブ、次郎は奈美子についに1年ぶりに自我を示した。

それは、「ブロック」だった…


***


次郎に送るメッセージが届かない。

何度送っても、返ってくる。

3日前の21日、奈美子が手を繋いでほしい瞬間に、次郎は手を繋いでくれなかった。以心伝心のように、わかってくれているかのように、さっと指を絡めていたのに、この日、手をつながなかったのだ。

手を合わせず2人の間の30センチのすき間を保ったまま、なぜかわからないけど、去年のイブに2人で見たイルミネーションの街並みを通りかかった。

あの日初めて手をつないだ思い出の場所。しかし、30センチのすき間は埋まらないまま。

自分から手を繋ごうとしたことが一度もなかったから、まさに「いざ」となったこのときに、彼の左手へ手が伸びなかった。

その日を最後に彼との便りが途絶えた。電話が着信拒否され、LINEもブロックされたのだ。あの日から初めて、次郎はついに「自己主張」したのだった。

いったいどうしたのだろう。

イブを迎えたのに、次郎とはつながらない。でも、なぜか、彼の家までおしかける勇気がおこらない。

何から何まで私のために存在してくれた次郎。人間ではなく、私の世話をしてくれるAIかもと錯覚し始めた次郎。

従順なAIが急に人間になって、自分にそっぽを向いた。次郎が人間らしさを見せたとき、彼はすっと姿を消してしまったのだ。

ひとりで過ごすイブが確定したとき、奈美子には次の候補が全くいないことに気づいた。

こんなこと、今までにはなかったこと。

彼女の大切にしていた価値観が無残にも崩れ落ちる。

「私は男が途切れたことがない」

どう考えても、今、途切れてしまっている。なぜか、次郎以外の男をキープしていなかったのだ。

何もかも自分の思いのままでいてくれた次郎の存在が、他の存在に全く意識を向けさせないほどに、奈美子を満たしてくれていたのだ。

今、自分から強引に誰か男を誘う気になれない。誘ったらどんな男でもすぐ、仕掛けた落し穴にハマるはずなのに、今の奈美子にはそんな気が全く起こらないでいる。

イブだからといって焦る自分が情けないし、そんな焦燥感に包まれて右往左往する自分を今まで見たことがない。それに、イブまでに彼氏彼女を作る、なんていきがっていた時代なんてとっくの昔に過ぎ去っている。

「人間を愛したい、人間に愛されたいから、私は常にそばにいる男を求めていた。でも愛している対象に人間らしさがないときに限って、私はその人に一途になっていた」

全て思い通りのAIのような男に、皮肉にも一途な愛を注いでいた、そして人間として、男として、奈美子と離れるという「意志」を見せて、彼は消えた。

一途な愛の終わりと共に、奈美子はついに男が途切れた。

「男が途切れたことがない」

それが自分らしさのよりどころだった奈美子は、ついに降参した。

1年前の次郎とのLINEの記録を映したスマホの画面に、ひとつぶの涙が零れ、画面の奥にすーっと染みていく。それは奈美子に、この記録を消去するきっかけを与えてくれた。

イブの夜空を見上げると、冷たくゆらぐ風が、奈美子の蒼白な頬に注ぎ込む。

それは、奈美子を次のフェーズへと運ぶやさしくふわりとした風だった。




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