滝薫

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滝薫

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上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(下)

前置き(上)では、上野千鶴子氏の座談会記事に関わって多くの人の尊厳を傷つけたことへの反省と悔恨の意、『かがみよかがみ』編集部による対応の批判について書きました。 (中)では、『セックスワーク・スタディーズ』を読んで考えたことが主になっています。先に前の記事に目を通してくださるとありがたいです。 (下)では、『かがみよかがみ』に対しての批判を書いていきます。 文中で引用しているnote、モーメントの掲載の許可はいただいています。 ここでは『かがみよかがみ』に掲載された、

    • 自分勝手な怒りとセルフケア

      葛藤や逡巡ばかりで生きているだけで引き裂かれそうだった内面を持っていた時は自分を書き散らしたかった。今の私は書かなくてよくなり、リストと共に日常を送っている。こなさなければならない日常のタスクから将来達成したいこと、買いたいものなどを書き出しながら仕事に家事に遊びに日々忙しくしている。 リストは時間やお金を効率的に使うためにある。大人になっちまったなと感じる。通勤の隙間時間に資格の勉強に励んだり、退勤後にジムに行って運動して、帰宅後湯船に浸かり、日を跨ぐ前に布団に入る。趣味

      • 双極性障害患者が生活保護を停止してから今までのこと

        炎上続きのnoteを嫌ってこちらの更新を避けていたんだけど、そういう誰かが不買運動しているから私もそうしなきゃみたいなTwitter上の同調圧力がどうでもよくなってしまって、てきとーに書かないでいた期間のことをまとめる。 アロマセラピストになる ライターとして飯を食うのを諦めて、色々模索した結果、アロマセラピストとして生計を立てていた。最初は週に3回、2時間のみの研修でも足が棒になって、帰りの山手線で降りられずにぐるぐるするという体たらくだったが、だんだん体力もついてきて

        • noteとしては最後の記事になります

          同じ内容をブログの方にも投稿しています。 noteを使うのはこれが最後です。 ブログはこちらです。 あっけなく就活が終わり、障害者雇用で社会人になることが決定したが、マリッジブルーのような気分でいささか落ち着かない。 やっと社会に復帰できると安心したし、生活保護を利用停止になるのも喜ばしい。私は結局、生活保護を受給している自分を全肯定できないままだった。 生活保護は必要な制度だ。それを使って生きている人に対して、恥ずかしくないのかとか、働けとか、穀潰しとか、そんなこと

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        上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(下)

          お花とワンピースを買って貯蓄が欲しいので、就職します

          note文学というジャンルが生まれ、揶揄される中でまたこいつに思いの丈を綴るのは嫌なんだけど、楽だから書いちゃうんだよね。ブログにも同じ記事を載せる予定です。 Twitterにも書いたけど、やめるやめるってずっと言ってた気がするけど、文章をお金にする「ライターという仕事」を目指すことも、することもやめます。 理由は、私が壊れるから、そしてもっとお金が欲しいからです。私の興味範囲である障害・福祉・フェミニズムなんて自分自身の当事者性が強すぎて、それを常に考えていなければなら

          お花とワンピースを買って貯蓄が欲しいので、就職します

          病気自体に4年分の給与を請求したい

          これは泣き言、つまり愚痴ですマジで今泣きそうで、友達に人生の恨み言を吐き出していた最中で、その子に、思いの丈を文章にして残したら?と提案されたので書き殴ってみることにする。悲劇のヒロイン状態なのはわかっているので、見苦しかったらごめんなさい。 涙で画面が滲んでいるというのは誇張表現ではない。なんでこんなに情けない思いを抱えているのかというと、4月からの計画が全部おじゃんになったからだ。 願書、受理されず4月から半年間、ハローワークの職業訓練校に行き、介護の資格を取得後、就

          病気自体に4年分の給与を請求したい

          連載が始まるよってお知らせと、生活保護について

          ↑同じ内容が私のブログに投稿されていますが、noteの方で読んでくださる方もいるかと思い、こちらにも書かせていただきます。 コロナ禍で女性の自殺者が急増している中、居ても立っても居られない心境です。他人事ではないからです。もし申請が通らなかったら、私はどうなっていたかわからない。 私が生活保護を受給するようになって半年弱経ちました。自分自身の生活をお話することで、少しでも現在困窮している方の生活保護に対する抵抗感を軽くできないか、社会のスティグマを取り除けないか、と思いこ

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          私の怒りと自分語りについて

          昨今続いてのnote運営会社炎上事件を踏まえ、ここに記事を上げるのは躊躇われる。しかし現在自分のサイトを作っている最中で、まだそれが出来上がっていない。早急に自分のための思考のメモとして書きたいことがあったため、仕方なくnoteを選択している。久々、自分語りのための自分語りでいささか恥ずかしい。 なんでライターにこだわっているのかわからない一人暮らしをし、自分で生活するようになって、私もなりたいものや成し遂げたいことがなくても生きていけるんだ、という恐ろしいことに気づいた。

          私の怒りと自分語りについて

          上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(中)

          前置き(上)では、上野千鶴子氏の座談会記事に関わって多くの人の尊厳を傷つけたことへの反省と悔恨の意、『かがみよかがみ』編集部による対応の批判について書きました。先に前の記事に目を通してくださるとありがたいです。 いざ書き上げてみると結構なボリュームになってしまったので(中)と(下)に分けました。 (中)の内容としては、『セックスワーク・スタディーズ」を読んで考えたことが主になっています。セックスワーカーではない自分が無邪気に「読書体験」のみで考えを述べ、さらにスティグマを

          上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(中)

          上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(上)

          朝日新聞社運営のWebメディア『かがみよかがみ』での2019年11月20日に発表された上野千鶴子氏との座談会企画記事が、セックスワーカーへの侮蔑と取れる表現で問題になりました。 本来は『かがみよかがみ』の中で完結させて書くのが筋だと思いますが、やむを得ずnoteに投稿させていただきます。上野千鶴子氏のセックスワーカーに関する発言での炎上を踏まえて考えたことを書きたいと編集部に申し出たのですが、その提案は断られたからです。 この文章はあくまで個人的見解であり、座談会参加者・

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          精神障害の受容とその葛藤 特例子会社のトイレで泣き崩れたのは「機会」がなかったから

          これは2019年の9月に書いたものだ。今読むと障害者差別にとれるところもあり稚拙で、そのまま載せるのをためらったが、当時の私の切実な思いに手を入れることができなかったので、直さなかった。 「普通の女子高生」が双極性障害になって別に勉強ができないわけでも友達がいないわけでもなく、悩みといえば中高一貫の女子校だから出会いが全くない、くらいの普通の女子高生だったのに、気づいたら介護されるような側になっていた。なぜ私だけがこんな目に合うんだろうという、過去に対しての恨みや終わりの

          精神障害の受容とその葛藤 特例子会社のトイレで泣き崩れたのは「機会」がなかったから

          漫画『セッちゃん』感想 ノンフィクションとフィクションと適応

          ※ネタバレあります 試し読みはこちら セッちゃんを恋愛以外の観点から読もうと思った。なぜならば、もうセッちゃんに共感できなくなっていたからだ。 •セッちゃんとあっくんとまみのそれぞれの適応の仕方『セッちゃん』は、暴力により変わっていく日常に対して適応能力がなく、流されてやり過ごすしかなかった男女が恋仲に落ちかける話だったような気がする。 誰とでも簡単に寝る時期はあったけど、私はあまり代わる代わる男に「抱かれる」セッちゃんに感情移入できなかった。この作品に魅力を感じるのは

          漫画『セッちゃん』感想 ノンフィクションとフィクションと適応

          コロナ禍の人間関係の混乱・デモに行く友人といい子ちゃんな私

          いつもは書き出しがぴたっと決まる感覚がしてからパソコンに向かうのだが、今は自分の中に生まれた思想や感情の全貌が捉えきれず、素早く動き回る混乱の切れ端を掴んで文字として世の中に投げ出すのが恐ろしい。これはあくまで私の心象風景で、社会批判というより内省と葛藤を吐き出す記録のための文章だ。その自分にこだわる姿勢はある種の逃げが多分に含まれていることも承知している。社会から自分を引き剥がす痛みを引き受ける覚悟がお前にあるのかと自問自答しながら書いたが、この結果を見るに現時点では日和見

          コロナ禍の人間関係の混乱・デモに行く友人といい子ちゃんな私