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ばあちゃんと 稲穂と どら焼きと

「私はいつ死んでもええんよ。やることは全部やったけん。思い残すことなんか、なんちゃないけんね」
 ばあちゃんは、いつもそう言っていた。
 僕の両親は二人とも中学校の教員で、やれ部活だ、やれ補習だと忙しく、僕は幼い頃から同じ敷地内にある祖母の大きな古い家に入り浸っていた。
 農業を営むばあちゃんは、玄関からまっすぐに伸びる土間どまの床に座って、玉ねぎの根を切り落としながら、胡瓜きゃうりの袋詰めをしながら、ネギを束ねながら、横に座って作業を見ている幼い僕に、手を止めることなく、たくさんの話をしてくれた。僕の話もたくさん聞いてくれた。
 ばあちゃんの手の甲には血管が浮き出ていて、皮膚は乾燥した大根の皮みたいだった。短く切り揃えた爪の奥まで土が入って黒かった。 
 その手で「ケンちゃんは男前やねぇ」と言いながら、僕の頭をよく撫でた。

 大学のために東京に出てから、僕にとっての実家は、年に二回帰るだけの場所となった。就活のときも故郷を選択肢に入れることもなく、東京で就職した。人生はきらきらに舗装されていて、たまにつまずいても転ぶことなんてないと本気で思っていた。
 でも、半年前……。
 僕は、東京から田舎に帰った。
 東京のマンションの玄関ドアを開けて出勤しようとすると動悸がして座り込む、そんなことが続いて、限界だなと思ったからだ。
 東京に居続ける意味どころか、生きている意味も分からなくなっていた。冷やしすぎると皮膚の感覚が無くなるように、冷たくなりすぎた心の感覚も無くなっていた。かちんかちんに凍ったアイスクリームにスプーンが入らないように、僕の心にも何も入らなくなっていた。
 田舎に帰る意思決定が出来るうちに動けた僕は、今振り返れば、ラッキーだったのだろう。帰る場所があっただけ、幸運だったのだろう。

 教員生活を何十年も続けてきた僕の両親は、『育てやすくて良い子だった』息子が、突然仕事を辞めて田舎に帰ってきたことで、パニックに陥った。教員として、こころの病の知識が少しあるだけに、かえって面倒くさい親だった。
「疲れたんやったら、ゆっくり休んだらええわい」
 マニュアル通りの言葉を繰り返し、僕に変化が見られないと、
「みかんだって、実がいっぱいなる年と、ならん年があるやろ。あれとおんなしよね。人生にも裏年があらい」 
 僕をみかんに例えて励まそうとした。
 一年ごとに実りが増えたり減ったりする人生ってええん? と僕は心の中で思ったけれど、そっぽを向いて黙っていた。みかんの木は枯れて死ぬことだってある。
 ばあちゃんだけが違った。
「ケンちゃんは、男前やけど足が臭いな。じいちゃん譲りやな」
 平気で僕を傷つけた。そして、ネギを引っこ抜きながら、明るい声で言う。
「ケンちゃん、明日は農薬くけん、手伝いしてくれる?」
 もちろん、親と祖母の立ち位置は違うし、両方に僕が甘えているということも分かっていた。

「なんか食欲ないし、咳が止まらんけん、ちょっと病院に行ってくらい」
 ある朝、ばあちゃんはそう言って、一人で病院に行き、検査をして、医者から「検査の結果は、ご家族と一緒に聞きにきて下さい」と言われたにもかかわらず、一人でまた病院に行き、家に帰ってきて、いきなり爆弾を落とした。
「私は、一年後くらいに死ぬらしいで」
 爆弾を食らった僕の両親は、慌てふためいた。病院に確認の電話をしたり、ネットで病名を検索して何か治療方法がないか調べたり、今年はろくなことがない(息子も帰ってきた)とおはらいに行ったり。
 僕はというと、騒ぎの中、黙ったままだった。不思議なくらい、ショックを受けていなかった。どれだけ冷たい最低の人間なんだよって自分でも思うほど、ばあちゃんの言葉をすっと受け止めていた。
 どうせ人はいつか死ぬし。

 僕は、ばあちゃんを観察していた。大好きなばあちゃんを文字通り観察していた。
 一年というだいたいの、そしてすぐ先の期限がある、死への道を歩む人がどのような行動をとるのか。死とは本当は何なのか。ばあちゃんが教えてくれそうな気がした。
 ばあちゃんの家には仏壇があって、そこにはばあちゃんの旦那さん、つまり僕のじいちゃんの写真が置いてある。
 今まで、ばあちゃんはその写真を見ながらお茶を飲んで、
「私はいつ死んでもええんよ。やることは、全部やったけん。思い残すことなんか、なんちゃないけんね」
 饅頭まんじゅうかじりながら、またそう言って、ふふふと笑っていた。
 いつ死んでもええと思っていたからなのか、ばあちゃんは病気がわかっても、それまでと同じ生活をした。慌てふためくこともなく、天気の良い日には畑や田んぼに出て農作業を続けた。

 あの日、僕とばあちゃんは、米の出来具合を確認するために田んぼにいた。週末には仕事が休みの両親が稲刈りをする予定になっていた。
「死にたいと思ったこと、あるんかな?」
 ばあちゃんは稲を手に取り穂先を見つめたまま、突然、僕に訊いた。
「あるよ。今も思ってる」
 素直に答えた。
 ばあちゃんは、田んぼの淵に腰を下ろした。僕もその横に座った。
 農道には彼岸花ひがんばなが赤い列を作っている。とんぼが、その上を飛んでいた。二人でそのとんぼを眺めた。
「私は、ばあちゃんはな、死にたいと思ったことは一回もない。今も死にたいとは思わん」
 強い口調で言われて、僕は苛ついた。反射的に、言い返した。
「いつ死んでもええって、ばあちゃん、いつも言うとるやん」
「いつ死んでもええと、死にたいは違うけん」
 ばあちゃんは、土手に手をついて胸をそらし、空を見上げて、静かに言った。
「いつ死んでもええと考えとったけど、最近は、まだ死にたくないって思うしなぁ」
 僕は、ばあちゃんの横顔を見た。
「何にそんなに未練があるん?」
 言ったあとに、自分が放った言葉の残酷さに気づいて、つばを飲み込んだ。
 ばあちゃんの表情は変わらない。目の横に皺を何本も作って空を見ている。
「ケンちゃんの子供、ひ孫の顔も見たいし、まだ北海道に行ったことないし、亀十のどら焼きも食べてないけんな」
 ばあちゃんが言ったちっぽけな未練。
「亀十のどら焼きって、浅草だよね、それくらい買ってきてあげらい」
 僕は、かすれた声で言った。

 稲刈りをするコンバインの音が遠くから聞こえる。
 僕とばあちゃんは、稲の間を通って吹いてきた秋の風を頬に感じながら、黙って座っていた。稲穂と太陽の光、黄金色に包まれていた。
 ふいに、ばあちゃんが黄金色のなかにふうっと溶けていく、そんな感覚に襲われた。隣に座るばあちゃんが、黄金色のなかに消える。
 ばあちゃんはもうすぐ死ぬんだ、死ぬって居なくなることなんだ、死んだらこうして話しができなくなるんだ。
「一年後くらいに死ぬらしいで」と聞いたとき不思議なくらい現実感がなかったのに、突然身震いがして、目の前の赤い彼岸花がゆがんで見えて、涙がぽろぽろと出てきた。
 鳥の声がする。コンバインのエンジン音、もみ殻を焼いている煙の匂い、稲穂が満足気に揺れて、彼岸花は僕を赤く見つめる。
 ばあちゃんが僕の背中を撫でている。その手から温もりが僕のなかに入ってきて、僕は小さな子供のように、声を上げて泣いた。
「死ぬってそういうことなんよ」
 僕が泣き止んだとき、ばあちゃんは、小さな声でそう言った。ひと言だけだった。

「一年後くらいに死ぬらしいで」
 ばあちゃんがそう言ってから、十か月が過ぎた。ばあちゃんは、少し痩せて疲れやすくなったけど、まだ生きている。
 もうばぁちゃんは「いつ死んでもええ」と言わなくなった。そのかわり「まだまだ死なんけんな」と言うようになった。
 目標は、北海道に行くことと、あと数年生きて医者をびっくりさせることらしい。どら焼きは、僕が飛行機に乗って浅草から買ってきた。ばあちゃんは、生きてて良かったと笑いながら食べた。
 僕に変化はない。実家で甘えているという生活に変わりはないけれど、心がアイスのガリガリ君からパルムぐらいになってきた気がする。 
 つまり、ばあちゃんが僕の背中を撫でてくれたように、僕自身が自分の心を撫でるようになったってことで、いつか僕が誰かを温かい手のひらで撫でてあげたい、と思えるようになってきたってことだ。
 いつかくる、ばあちゃんが本当に黄金色に溶けて消えて行く日をはっきりと意識して身構えながら、淡々とばあちゃんの手伝いをして、ご飯の美味しさをみ締める。
「まだまだ死なんけんな」
 ばあちゃんが言うと、僕は復唱する。
「まだまだ死なんけんな」

 とりあえず……。
 そう、ばあちゃんも僕も、生きてます。
 

 
 
 



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