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牙を研ぐ

「松永さんに、お願いしたいことがあるんです」

バンド時代の後輩、という言い方は偉そうで気に食わないのだけれど
友達、という言葉も少し違う気がする。
相手が年下だから、便宜上「後輩」と言う。
そういう相手から、久し振りに連絡が来た。

彼からの連絡が久し振りであること以上に、わたしは「お願いしたいこと」に戸惑った。
わたしに?
お願いしたいこと?
何かわたしにできると思ってるってこと?
ほんとに?
わたしが役に立つことって存在する??

そうだ、とりあえず話を聞こう。
わたしは落ち着いて返信の文章を作る。

久し振り、元気ですか?
わたしは元気です。
連絡本当にありがとう。嬉しいです。

で、

「わたし、基本的にできることないけど、お願いしたいことってなに??」



頼まれたのは、ピアノアレンジの仕事だった。
とりあえず曲を送ってもらって、相手の要望を聞く限り、不可能な内容ではなさそうだ。
いやしかし、ピアノアレンジ…
人生で1度もやったことがない。
だから、できるかわからない。
言語レベルであなたの言い分は理解したけど、期待に応えられるかわからない。

いつもなら、
いや、いままでのわたしなら断っていたと思う。
むりだと思う、と言って。

それなのに、このときのわたしの心臓は、こうつぶやいたのだ。
「やってみっか」

早めに「こんなイメージで合ってる?」というものを送って、全然違うならこの依頼はなかったことにしてもらえばいい。
とりあえず、取り組んでみよう。
「やっぱりごめん」と言っても許される間柄だし、納期的にも「わたしがダメだったあと」に余裕がありそうだった。

「わたしにはできるかわからない」と、きちんと、丁寧に前置きしたあと「それでもいいなら、やらせてください」と返事をした。
「わたしはあなたの立場上先輩になるかもしれないけれど、気になることは必ず言ってください」と伝えるのも忘れなかった。

締切より数日前に、デモ音源を送ることに成功した。
締切より早めに動けるようになったわたしは、ちょっと成長したなと思う。
夏休みの宿題は、最後にやるタイプだった。

「とってもいいですが、こことここだけ、こんなふうに直してください」と具体的な指示がくる。
まず、褒めてもらえてほっとした。
手直しの必要性や意味もわかったので、何パターンか用意したものを送って、仕事は完了した。

ライブノルマのバックじゃなくて、
CDやグッズの売上じゃなくて
noteのサポートじゃなくて、
「ギャラはいくらなので、これをお願いします」と言われた仕事は、人生で初めてだったように思う。



あと3つくらい記事が書けそうなくらい、たくさんの経験をさせてもらえた。
引き受けて本当によかった。

バンドを休止してから何年も経つのに、声を掛けてくれた後輩に感謝を。
そしてあのとき、「やってみっか」と思ったわたしに拍手を。

そしていま、仕事を終えたあとのわたしは、こんなことを思い出している。



牙を研ごう、と思っていた。
約1年前のことだ。

「何かが違う」
「このままではいけない」
名前のない、目的地もない強迫観念に駆られ、わたしは呼吸の浅いような日々を送っていた。
どうしていいか、わからない。

「とりあえず動こう」と思った。
何かをすることでしか、この問題は解決しないのだと、わかっていた。
どこへ行くか、わからなくても。

そしてわたしが誓ったのは「牙を研ぐように」だった。

然るべき、そのときがくるまで。
そのときが、いつ訪れてもいいように。
少しずつでも、積み重ねて。
毎日が完璧じゃなくても、理想に届かなくても、見つからなくても
そのときに、備えよう。

そしてこの依頼がひとつ、「そのとき」だったのではないだろうか。

333日間、毎日ピアノを弾いてきた。
録音するということにも慣れた。
録音ソフトも毎日立ち上げているし、メトロノームに合わせることも、1年前より上達した。
もちろん、いつでもピアノを弾いて録音できる環境は整っている。
録音技術的なものが1年前より遥かに上達したかと言えばそうではないけれど、少しずつ録音ソフトを触りながら、できなかったことができるようになったという事実は在る。

もし、1年間何もしていなかったら。
まず、電子ピアノの上を片付けることから始まったと思う。
電子ピアノとパソコンを繋ぐことにも一苦労だった。
家中のケーブルを引っ張り出して、どれが使えるかを確認したはずだ。
ピアノを弾くのが久し振りで手も動かずに、メトロノームに合わせることなんか叶わなかったはずだ。
1年間でわたしは「録音ソフトを用いて、メトロノームに音を合わせる技術」も向上していた。

培った身軽さが、わたしに「やってみっか」と思わせてくれたのではないだろうか。
何もしていなかったわたしなら、「どうせむり」とか「この納期じゃとてもできない」って、思ったんじゃないだろうか。

少しずつ積み重ねて、名前もつかない幾つものことを成し遂げたわたしは、自然と「次もできる」と期待したのではないだろうか。

きっと、そうなのだと思う。
きっと、そうなんだ。



目的地がないことが、ふいに不安になる夜がある。
「意味があるのか?」と、問いたくなるときもある。
「意味なんかあとでいい」と思って駆け出して、もうすぐ1年が経ってしまう。

この1年間、「ありがたい評価」や「嬉しいお言葉」をいただく機会は、奇跡的に存在した。
記事の本数や、動画の本数も増やしてきた。

でもこれは、違う。
自分の手で、掴み取ったものだ。
こんなに毎日エッセイを書いているのに、ぜんぜん上手に言葉にならない。
でも、違うことはわかる。

これは「然るべきとき」の答えだ。



わたしはまた、目的のない旅に出る。
荷物が増えたのか減ったのかも、わからない。

でも、間違いなく
わたしは以前より、勇敢な足取りで蹴り出してゆく。

そんなおとなになりたかった。
もう、この事実だけで充分なんだ。



【photo】 amano yasuhiro
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