牙を研ぐ
「松永さんに、お願いしたいことがあるんです」
バンド時代の後輩、という言い方は偉そうで気に食わないのだけれど
友達、という言葉も少し違う気がする。
相手が年下だから、便宜上「後輩」と言う。
そういう相手から、久し振りに連絡が来た。
彼からの連絡が久し振りであること以上に、わたしは「お願いしたいこと」に戸惑った。
わたしに?
お願いしたいこと?
何かわたしにできると思ってるってこと?
ほんとに?
わたしが役に立つことって存在する??
そうだ、とりあえず話を聞こう。
わたしは落ち着いて返信の文章を作る。
久し振り、元気ですか?
わたしは元気です。
連絡本当にありがとう。嬉しいです。
で、
「わたし、基本的にできることないけど、お願いしたいことってなに??」
*
頼まれたのは、ピアノアレンジの仕事だった。
とりあえず曲を送ってもらって、相手の要望を聞く限り、不可能な内容ではなさそうだ。
いやしかし、ピアノアレンジ…
人生で1度もやったことがない。
だから、できるかわからない。
言語レベルであなたの言い分は理解したけど、期待に応えられるかわからない。
いつもなら、
いや、いままでのわたしなら断っていたと思う。
むりだと思う、と言って。
それなのに、このときのわたしの心臓は、こうつぶやいたのだ。
「やってみっか」
早めに「こんなイメージで合ってる?」というものを送って、全然違うならこの依頼はなかったことにしてもらえばいい。
とりあえず、取り組んでみよう。
「やっぱりごめん」と言っても許される間柄だし、納期的にも「わたしがダメだったあと」に余裕がありそうだった。
「わたしにはできるかわからない」と、きちんと、丁寧に前置きしたあと「それでもいいなら、やらせてください」と返事をした。
「わたしはあなたの立場上先輩になるかもしれないけれど、気になることは必ず言ってください」と伝えるのも忘れなかった。
締切より数日前に、デモ音源を送ることに成功した。
締切より早めに動けるようになったわたしは、ちょっと成長したなと思う。
夏休みの宿題は、最後にやるタイプだった。
「とってもいいですが、こことここだけ、こんなふうに直してください」と具体的な指示がくる。
まず、褒めてもらえてほっとした。
手直しの必要性や意味もわかったので、何パターンか用意したものを送って、仕事は完了した。
ライブノルマのバックじゃなくて、
CDやグッズの売上じゃなくて
noteのサポートじゃなくて、
「ギャラはいくらなので、これをお願いします」と言われた仕事は、人生で初めてだったように思う。
*
あと3つくらい記事が書けそうなくらい、たくさんの経験をさせてもらえた。
引き受けて本当によかった。
バンドを休止してから何年も経つのに、声を掛けてくれた後輩に感謝を。
そしてあのとき、「やってみっか」と思ったわたしに拍手を。
そしていま、仕事を終えたあとのわたしは、こんなことを思い出している。
*
牙を研ごう、と思っていた。
約1年前のことだ。
「何かが違う」
「このままではいけない」
名前のない、目的地もない強迫観念に駆られ、わたしは呼吸の浅いような日々を送っていた。
どうしていいか、わからない。
「とりあえず動こう」と思った。
何かをすることでしか、この問題は解決しないのだと、わかっていた。
どこへ行くか、わからなくても。
そしてわたしが誓ったのは「牙を研ぐように」だった。
然るべき、そのときがくるまで。
そのときが、いつ訪れてもいいように。
少しずつでも、積み重ねて。
毎日が完璧じゃなくても、理想に届かなくても、見つからなくても
そのときに、備えよう。
そしてこの依頼がひとつ、「そのとき」だったのではないだろうか。
333日間、毎日ピアノを弾いてきた。
録音するということにも慣れた。
録音ソフトも毎日立ち上げているし、メトロノームに合わせることも、1年前より上達した。
もちろん、いつでもピアノを弾いて録音できる環境は整っている。
録音技術的なものが1年前より遥かに上達したかと言えばそうではないけれど、少しずつ録音ソフトを触りながら、できなかったことができるようになったという事実は在る。
もし、1年間何もしていなかったら。
まず、電子ピアノの上を片付けることから始まったと思う。
電子ピアノとパソコンを繋ぐことにも一苦労だった。
家中のケーブルを引っ張り出して、どれが使えるかを確認したはずだ。
ピアノを弾くのが久し振りで手も動かずに、メトロノームに合わせることなんか叶わなかったはずだ。
1年間でわたしは「録音ソフトを用いて、メトロノームに音を合わせる技術」も向上していた。
培った身軽さが、わたしに「やってみっか」と思わせてくれたのではないだろうか。
何もしていなかったわたしなら、「どうせむり」とか「この納期じゃとてもできない」って、思ったんじゃないだろうか。
少しずつ積み重ねて、名前もつかない幾つものことを成し遂げたわたしは、自然と「次もできる」と期待したのではないだろうか。
きっと、そうなのだと思う。
きっと、そうなんだ。
*
目的地がないことが、ふいに不安になる夜がある。
「意味があるのか?」と、問いたくなるときもある。
「意味なんかあとでいい」と思って駆け出して、もうすぐ1年が経ってしまう。
この1年間、「ありがたい評価」や「嬉しいお言葉」をいただく機会は、奇跡的に存在した。
記事の本数や、動画の本数も増やしてきた。
でもこれは、違う。
自分の手で、掴み取ったものだ。
こんなに毎日エッセイを書いているのに、ぜんぜん上手に言葉にならない。
でも、違うことはわかる。
これは「然るべきとき」の答えだ。
*
わたしはまた、目的のない旅に出る。
荷物が増えたのか減ったのかも、わからない。
でも、間違いなく
わたしは以前より、勇敢な足取りで蹴り出してゆく。
そんなおとなになりたかった。
もう、この事実だけで充分なんだ。
【photo】 amano yasuhiro
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