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おとなの時間

最近、仕事をサボって映画ばかり見ている。

というと、極悪人のようだけれど、実際は少し違う(と思っている)。
具合が悪くて、会社に行けなかったり、会社にいられなかったりするその帰りに、映画を見るようにしている。
「サボる」というのも、気に入っている言い回しだ。
会社を「休む」とか「早退する」というと、申し訳ないような気持ちになる。
だから「サボる」と言っている。自分の中では、そうしている。
「サボっている」という言葉はやさしく、すべてをまあるく包んでくれる。

数年前まで映画は苦手だった。
1時間半とか、2時間とか、集中していることができない。
きちんと見て、見終えなければいけない、というような強迫観念があって、家でもほとんど見なかった。
最近は不思議と、見るようになった。
別にずっと集中してなくてもいいし、寝てもいいし、(実際に寝ることはほとんどないけど。プラネタリウムだと寝ちゃう)
あと、ひとりで見ている、というのが大きいかもしれない。
言い合うようなきちんとした感想を持ち合わせることができなくても、「ああ満足だった」という、あの感覚。
コップに、たっぷりと水が入っているような満たされる感覚に、言葉は要らないような気がしている。

だから最近はひとりで、
コーヒーを飲んで、時折「おなかすいたなぁ」などと思いながら、映画を見たりしている。
飲み物だけ買って、ポップコーンは食べないのが流儀だ。
喉が乾くと集中できないし、ポップコーンは食べることに集中してしまうのでよくない。あと、すぐになくなってしまう。

そんな事情で映画を見ているので、変な時間に見ている。
平日の午前中とか、夕方になる前とか
見る映画館も様々で、会社に近いところか家に近いところ
上映時間の都合が合いそうなところに、ふらっと訪れる。

映画館に行くようになって気づいたのだけれど、それぞれの映画館の”違い”が面白い。
椅子のふかふか具合だとか、スクリーンの大きさとか
あと、売っている飲み物の違いなんかを楽しんでいる。
新しい映画館は、きれいで、見やすくて
家から近かったらもっと通うのに、なんて思ったり。

それは映画の公開日で、平日の夕方だった。
ちょっともう限界で、職場をあとにして、ふらふらと券売機でチケットを買った。

ちょうど見たかった映画の公開日で、
でもそんなに有名なタイトルでもなくて(何度かしか予告を見なかった)
席はぽつりぽつりと、埋まっていた。
後ろから少ししゃべり声が聞こえてきたけれど、だいたいはひとりだった。

平日の夕方の映画館は、おとなの時間だと思う。

もしかしたら午前中もそうかもしれないし
見るタイトルによっては子どもがいないものもたくさんあるのだろうけれど
なんていうか、その日は色濃く、それぞれの時間に匂いがした、
それぞれの、事情の匂い。

わたしみたいに、仕事をサボっているひともいるのかな。
学生さんもいるのかな。わたしが学生のころは、映画”なんか”あんまり見なくて、もっと馬鹿げたことばかりしていたな。
公開初日の、今日を楽しみにしていたひともいるのかな。
ああ、それぞれの事情の

同じスクリーンを見つめる、わたしたちは瞬間に同志となる。

そして映画が終わった瞬間に
みながそれぞれのタイミングで立ち上がる。
わたしはいつも遅め。いつもスマホで時刻を確認して、深く頷いてから立ち上がる。
そのあと、ほんの少しだけ誰かの声がして、それぞれの日常に帰ってゆく。
映画の終わりは、静かなほうが好きだ。あんまりしゃべりたくないかもしれない。
呑み込んだ最後のひとくちを、確かめる時間が必要だと思う。
平日の夕方の映画館では、その時間をしっかりと確保できたような、そんな気がしている。
同じビルで買い物をすることより、スターバックスに行くことより、映画館を選んだ同志たち。

ふらりふらりと、反芻しながら歩き出す。
そしてわたしは仕事をサボっちゃったことなんか忘れて、「見たかった映画を見れてよかったなあ」などと
満たされた気分で、最後のコーヒーを飲み干した。




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