見出し画像

そろそろ、文句のひとつも言わせてくれよ。

昔やっていたバンドの、ギターボーカルの人と話していた。

別に、音楽の話なんかしてないし
あの頃のことは、わたしたちにとって、きちんと昔話として昇華されている。
少なくとも、わたしは思っている。
糧となった。
過去の話。

本当にふいに、最初のドラマーの名前を出された。びっくりした。

最初のドラマーは、わたしたちにとって友人だった。
ギターボーカルの大学時代の連れで、
当時、別の音楽をやっていたわたしたちは、「対バン相手」として出会った。
気づいたら、知り合ってからもう、ずいぶんの時間が流れた。

あいつがいなくなって、わたしたちはバランスを崩した。


支えだった。
音楽の、バンドの、わたしたちの関係の

曲を書いて歌っていた、ギターボーカルがバンドの心臓と思われていたし、
わたしたちもみんな、そう思っていた。
そう、信じていた。
ギターボーカルさえいれば、バンドは変わらない。
わたしたちは、”ピカロステイト”を名乗り続けることをできる。と
信じていたというよりも、疑いすらしなかった。

結果的に、二人目のドラマーが悪かったとか、そういうことを言いたいわけじゃない。
それは全然関係ないし、
わたしたちはもはや、このふたりのドラマーのうち、どちらがドラマーとして優れていたかだとか、ドラムがうまかっただとか、そういうことは判断できない。
そういうことに、もう意味は感じていない。



あいつは、支えだった。
安心して寄り掛かることも、ぶん殴ることもできた相手だった。
良い奴だったか定かではないし、わたしを慰めるための嘘なんかついてくれなかったけど
結果的に、わたしが欲しい言葉を、必要なときに落としてくれる人だった。
悔しくて飛び出したライブ会場を、「ちょっとコンビニ行ってくる」と言って逃げ出したあと、
黙って迎えに来てくれたのは、あいつだった。


バンドを出ていくときの、あいつの意志は固かったけれど
わたしは、泣きわめいても、引き止めるべきだった。
サポートでもいいから、残って欲しいと言うべきだった。
引き止めるべき対象だと、もっと自覚すべきだった。
「あんたのやりたいようにやんなよ」「去るものは追わない」なんて、かっこつけずに
あいつのしあわせなんか願わずに
もっと、傲慢であるべきだった。


欲しい音を、欲しいところに落としてくれる人だった
歌心のあるドラムだった
自分のことも打算的に考えていただろうけれど、バンドと曲のことをまっすぐに考えてくれる人だった
客観的なものの見方ができる人だった


バンドを去ったあと、同じ界隈で別のバンドで活動を続けていたので、顔を合わせることはあった。
友達のライブで姿を見かけたとき、肩をつかんで声をかけたけど、振り払われた。
思うところがある、というのは理解している。
あれからわたしたちは、あいつと一度も話せていない。


なあ、
おまえのその、中二病をこじらせすぎたセンチメンタルな病気のせいで、
おまえともう、話すことができないせいで
思い出の中のおまえの、良いところしか思い出せないじゃないか。

おまえがしてくれたことを、
伝えてくれたことを、
音に乗せてくれたことを、
支えられた、そのことしか、もう
語ることが、できないじゃないか。


なあ、
そろそろ、文句のひとつも言わせてくれよ。
「やっぱおまえ、どうしようもないよな」って
笑い飛ばさせてくれよ。


おまえのこと、全部思い出にして
「必要なドラマーだった」なんて
もう、感傷に浸りたくないんだよ。
おまえ、どうしようもないやつだって
それも、よく知ってるのに


もう何年会ってないだろう。
わたしたちは今日も、おまえの文句のひとつも、言えてない。



photo by amano yasuhiroTwitternote



スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎