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寂しいだけ、のあなたへ

なくしたものを数えたけど 形が変わっただけ
呼ばれた気がして 少し寂しいだけ

「寂しいだけ」という歌詞を書いたような気がする。
と思って調べてみたら、同じ曲の中で、2度も「〜〜だけ」という表現を使っていた。

好きな言い回し、なんだと思う。

「だけ」は、
「笑」に似ている。
なんて言ったら怒られるだろうか。

「笑」のほうが、やさしい表現かもしれない。とすら思う。
「ウケる」という感情または、「怒ってないよ」とか「苦笑している」とか
とにかく、自分の言葉や表現に、悪意や攻撃性はありませんよ。ということを意味することが多い。

「だけ」は、寂しい。

わたしは、「だけ」というとき、嘘をついていることが多い。
「変わっただけ」
「寂しいだけ」
その歌詞で書きたかった感情は、
「なくしたものを思うとすごくつらい」けど、「変わっただけ」だと落とし込もうとする姿であり、
「呼ばれた気がして、息が止まるほど込み上げる寂しさがある」けれど、「寂しいだけ」だと言い聞かせようとする。

特に、わたしの感情をいちばん厄介な鎖で、容易く支配してくる「寂しい」という感情については、
「寂しいだけ」という言葉を使って、誤魔化そうとする。

例えばそれは、
寂しくて、会いたい人がいて、素直に伝えたいけれど、迷惑かもしれない、
でもひとりじゃ抱えきれない瞬間に送る、メッセージが
「会いたい(笑)」
みたいな書き方になるのと、似ているのかもしれない。

思ったり感じたりした者が勝ちだ。

勝ち、という表現の裏側には「負け」がいることを示唆しているように思えて、ちょっと過激な表現のような気もするけれど、この言葉を愛している。
敬愛する作家が30年近く前に使った言葉で、いまのわたしの血肉を作っている。

ナイーブな人たちが世界を美しくする

この言葉も、気に入っている。
結婚式の、メッセージカードに書かれていた。
わたし宛てではなく、家族に宛てたもので、家族の大学時代の先輩というそのひとに、わたしは会ったこともないのだけれど。
「いいと思った言葉なので伝えておく」というぶっきらぼうな感じなのに、字がきれいだったところが、すごく好きだった。

ナイーブという言葉は「純真」という意味合い且つ、「物事を感じやすいさま」の意味なので、
前述の「思ったり感じたりした者」に、近いものだと思う。

揺れ動く感情の美しさ、
それはときに、感じなくてもいいことや、感じないほうがらくに過ごせた、ということにも、心を揺らしてしまうことかもしれない。

「寂しいだけ」なんて言わずに、「寂しい」と大声で叫べばよかった。
でも、言えなかった。認められなかった。
その感情のすべてを、どうして否定することができようか。

少なくともわたしだけは、許してあげたい。
「寂しい」と思ってしまう原因が、どれほど自身の心の未熟さにあっても、
言えばよかった、という単純な話でも、「言えない」と思ってしまったその心を
「寂しいだけ」なんていう言葉で、誤魔化そうとしても。

生まれた感情には意味があって、できるだけ一度飲み込んであげたい。
でも、すべての感情を「飲み込む」ことと、「真摯に受け止めて考えること」は別でいい。とも思う。

いいよ、たまには。逃げて
そして、否定もしなくていい。

そういうときに、「変わっただけ」とか、「寂しいだけ」なんて言って
遠くを見ながら煙草に火をつけるような、ゆっくりとコーヒーを飲むような
そしてほんの少し、顔をしかめている。
「寂しい」とも、「会いたい」とも泣くこともできずに。

そんな夜や、生き方があっても、
わたしはそれでいい、と思っている。






※思ったより感じたりした者の勝ちだ。

※「美しくする」と言っているだけで、「変える」とは言っていない。

※「寂しさ」を理由に、わたしは決断をしない。


※今日のBGM




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