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「希望というのは、過去とか未来じゃない。いまここにあるんだ」

ちょっと昔のことを調べなきゃいけなくなって
過去のTwitterとか、LINEをチェックしていた。

もう、恥ずかしくて死にたい…

2012年とか、2013年とか、なんかもう別人…
昔使ってた鍵付きのTwitterアカウントとか恥ずかしすぎる…
(もう何年も使ってないです。いまは、NintendoSwitchのスクリーンショットを受け取る専用で利用してます)
なんであんなに、中二病まっさかりだったの?
20代だったのに…

いまとは、人物相関図みたいなのも違っていて、ちょっとおもしろい。
仲が良かった人、も少し違う。
距離感も違う。
わたしと、あの子も
あの子と、あの子も

そして、たくさんのものをくぐり抜けて、ここまで来た。

記憶とは、曖昧なものだ、と思う。

楽しかったことは、より明るく
苦しかったことは、暗闇だけを残して

年々、色褪せていくような気がするのに
明るさと暗さだけ、より濃くなっていくような気がする。

「あのときはよかった」と、やたらに思うし
「最悪な出来事」を思い出すと、心臓がぎゅんと掴まれるような気持ちになる。

それは、過去の対して、現在は”救い”を持ち合わせていないから、のような気がする。

あのときは、あのときで
あのときの感傷は、やっぱり置き去りにするしかなくて
その瞬間は、物語の中に自分もいたのだけれど、もういない。
物語はもう、閉じられてしまっている。

知りたいことは結局わからなかったし、散々な思いをした。
ぎゅっと心臓が掴まれて、ばくばくする。
わたしは、メトロノームの音だけを頭に思い浮かべて、目を閉じる。

「希望というのは、過去とか未来じゃない。いまここにあるんだ」

江國香織さんの「神様のボート」という小説で、葉子さんが言っていたせりふを、今でも思い出す。
葉子さんは、コーヒーと煙草とチョコレートでできていて、ピアノを弾くひとなので、親近感がある。

やっぱり、過去の物語は閉じられてしまっているし(どれだけ、捨てることができなくても)
未来は、未だ見ぬファンタジーだ。
「うまくいかなかったらどうしよう」と思っても、その答えは未来にしかないなら、いまを積み上げるしかない。
そして「うまくいかなかったわたし」が過去にいたとしても、やっぱりその物語には、もう触れることができない。

だいじょうぶ、
メトロノームの音に揺られながら、わたしはつぶやく。

だいじょうぶ、
触れられるのは、いまだけだから。

いまを頑張れば、過去が帳消しになるとか
そもそも、帳消しにしたほうがいいのかすら、わからないけれど

ずいぶん遠くまで歩いてきたね。
もう、だいじょうぶ。
おとなになってまた少し、葉子さんの言葉の深いところに、触れられたような気がする。

おとなになったわたしは、
こどもみたいに無邪気に、
そして、おとなの狡賢さを抱えて、
「いまある希望」だけを、信じている。




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