見出し画像

足裏の北極星

そのときが訪れた。

昨日までは疑いながら、図っていたのだけれど
今日だ、と確信する。

シャンプーとか洗剤の、詰め替えのタイミングって難しいと思う。
わたしはいつも、「まだいける」と粘ってしまうのだけれど
「次の液体を出すのが大変な状態」で使い続けるのはストレスなので、そうなる手前で詰め替えるようにしている。
コンディショナーは、今日まさにそのタイミングだった。

シャワーを浴びながら、そのままボトルを洗う。
少し悔しいけど、頑張れば使えただろうコンディショナーの塊が流れてゆく。
致し方ない。
諸行無常、と念じながら見送った。

ボトルを洗ったあとの床って、当然ながらぬるりと滑る。
わたしは、自身のことも家族のことも信用していないので、こんな状態だと転ぶ。容易く転ぶ。そんなに身体能力も危険察知能力も高くない。
と思うので、ささっと床を流す。
流してもダメだったので、掃除用のスポンジで床を磨く。

磨き方が足りなかったのか。
いや、そんなことがあるか。
いや、ない。

足だ。
と気づくまで、ほんの少し時間がかかった。

わたしの足がいけないんだ。
足裏についたぬめりで、滑っているに違いない。

シャワーを強くして、ささっと流したらすべて解決した。

ささいな出来事、だと思う。
それでも、諸行無常なんて思ってしまったあたりでおかしい、とは思ったけれど
なにかの、暗示のような気がしてならない。

問題を解決しようと、整えてゆく。
でも、足裏のぬめりのように、根本が解決しないと、まだ問題は起きてしまう。
むしろ、足裏を洗っていないのならば、問題は解決していない。と言える。

床だけ磨いて、
その場しのぎのようにして、
見える部分だけ整えて、
上辺だけ繕うように、根本から目を背けてはいないだろうか。

最近あれこれ考えてはいるけれど、広く狭くなっていたような気がする。

そもそもの「問題」はなんだろうか。
そのあたりも、きちんと考え無くてはならない。
好き、嫌いという感情は心底大切だけれど、何かもっと道標のようなものが、人生には必要な気がしている。

いっときの「好き、嫌い」だけではなくて、その先の
そうだな、例えて言うならば。

電車は嫌いだけど自転車は好きだから、新宿まで自転車で行こう。
と、思ってはいないだろうか。
もちろんこれは例えだけど、家の場所を把握している友達で、新宿が自転車圏内の人は少ない。
ということは、電車に乗らなければ、新宿には到底たどり着かない。
目的が「早く新宿に行く」ならば、電車に乗らなくてはいけない。どれほど嫌いでも。
でも目的が、「3日後の昼間でに新宿に行く」なら、別に自転車でも間に合うかもしれない。
ああでも、他のことができなくなることで、本来の目的を見失うかもしれない。

そう、それだ
本来の目的ってやつ。
道標、位置の変わらない北極星みたいなやつ。

見失ってはいないだろうか。
「掃除をすること」があのときは目標じゃなくて
「すべらない状況を作ること」が大事だった。
だから、足裏まで見なくては
そういうことを、忘れてはいないだろうか。

今一度、北極星の場所を確認する。
ぼんやりとしてよくわからなかったけど、北のほうにあるんだと思う。

これから、時々足の裏を覗くことにする。
自分を疑うときには、なにかがおかしいときには、必ず。
儀式のようにそうしよう。

そのときは、本来の目的を、北極星を探しているのだ。と思って欲しい。






※キッチンに、北極星を敷いている。


※now playing

友達からの手紙に「気に入ってサントラまで買っちゃった」って書いてあったから






スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎