【感想文】 講演会”発達障害という才能を最高に輝かせる方法”
はじめに
障害、という言葉を聞いてどう思いますか?
あるいは、「発達障害」という言葉を聞いて、その意味を説明できますか?
わたしは「難しそうだな」って思っていました。
だって、とってもデリケートだし、触らぬ神になんとやらと言うし、わたしにとって、差し迫った問題ではない。
それでも、お世話になっている鍼灸師のミツルさんが「発達障害に関してのイベントをやることになった」って言うならば
もう、化石くらい古くなってしまったむかしのトラウマよりも、説明できない恐怖心よりも、
いま目の前の扉を、開けてもてもいいんじゃないかな。と思えたんです。
まずはトラウマを紐解きながら、課題図書”世界を変える子どもたち”に向き合いました。
障害という言葉が、物事を難しく、入り口を狭くさせている気がしますが、わたしにもグッとくる内容でした。
自分の気持ちを伝えること、何かを説明しようとすること、「わかって欲しい」と願う瞬間、言葉尻が強くなってしまう瞬間っていうのは、どうしてもある。
でも、この本は最初から最後まで優しくて、すごく感動しました。
著者の茂呂史生さんがイベントに登壇されるとのことで
ああ、このひとの話を聞いてみたいなあ、というよりも「楽しみだな!ぜひ聞きたい!」と思って、楽しみにしていた講演会の感想文です。
茂呂さんのこと
福祉革命家
講演をするときとか、自己紹介するときって、肩書を言ったりするじゃないですか。
茂呂さんは”福祉革命家”
革命家ってめっちゃカッコ良い…
しかし、理由が本当にすてきでした。
革命というと、他を排斥したり、独裁したりと勝手なイメージがありましたが、本当の革命っていうのはひとりじゃ起こせない。
きっと、ひとつずつを怠らないひとを、革命家と呼ぶのでしょう。
今日は、茂呂さんの革命を学ばせていただきます。
オーバーリアクション
登壇して、にこやかに語り始めた茂呂さんは、最初にした幾つかのお願いのうち、これがすごく印象深かったです。
これ、めっちゃわかる…!!
初めてひとりでステージに立って、ライブMCをしたときに、同じことを思ったんです。
客席は暗くて顔も見えなくて、誰の声も聞こえなかったあの恐怖。
いちばん後ろの席に座っていましたが、「ああ、このひとも同じなんだ」「おだやかな気持ちで話して欲しいなあ」と思いながら、わたしも肩の力を抜きながら、時には笑いながら聞かせていただきました。
(最後に「話しやすかった」と言っていただけたときには、一安心しました)
いま思えば「あがり性」を「悪」と捉えず、「笑い声とかリアクションとかで応援してね、支えてね」っていう感じ、すごく素敵ですよね。
ついつい「あがり性だから、あがらないように頑張らなきゃ」って考えがちですよね。
そしてこの、「あがり症を認めて自分自身が向き合ってゆくこと」と、「他社に対してどう向き合って欲しいのかを提示する」というのは、
このあとの講演内容にも続く、とても大切なことでした。
障害って、福祉って何?
そう問われて「ウッ」と思ってしまったのは、わたしだけではない…はず!
言葉として使う頻度は多くなくても、「一度も使ったことがない」という人は、きっといないはずです。
そういえば学生時代、よく使っていた(あるいは、障害という言葉は忌避されていたような気がする)けれど、意味を理解しようとしていなかったことに、いま気づくことができました。
福祉とは
福祉という言葉には、定義付けがあるそうです(知らなかった!)
福祉っていうと、助け合うこと?とか、って勝手に思っていました。
「幸せ」や「豊かさ」を意味することもそうですが、すべての市民にっていうのが、めちゃくちゃポイントですよね。
そう、障害があってもなくても、暮らしやすくするという考え方が大切だったんです。
発達障害とは
発達障害というのは、4つに分類されるそうです。
まず、障害名が難しく、ネガティブだという茂呂さん。
むかし銀魂で、「梅雨」という名称がジメジメしていてよくない。と話していた回があったことを思い出しました。「インデペンデンス・デイ」にしようとか、「ハッピーバースデーツーユー」にしようとか
わたしは今でも梅雨になるとこの話を思い出して、ちょっと元気になれます。名前って大事ですよね。
わたし自身の経験だと、大学生の頃なので笑い話ですが、「運痴って、おまえのためにある言葉だな〜」と言われたことがあります(その瞬間、ダーツが真横に飛んだ
運動ができないことも、馬鹿にされたり、恥ずかしい思いをする。
でも、運動神経が良いことを馬鹿にする人はいませんよね。
「良いも悪いも個性のひとつ」であり、それを活かしてゆくこと。
運動神経が悪いことを直接活かすのは難しいかもしれませんが、わたしは運動神経の悪い同士に優しくすることができる、とかね。
※逆上がりができなかった同士へ、こんなエッセイも書きました
障害に関していえば、ASDの人は集中力が高く、プログラマーなどに多いそうです。
ただ、ひとつに集中してしまう傾向にあるので、学校の授業などは苦手というだけで、それが周りに合わないとか、少数派とか、ただそれだけのこと。
近年、著名人が発達障害を公表するケースが幾つかありますが、それは「著名人だから発達障害を公表した」のではなく、「発達障害という素晴らしい才能・個性が、成果へと繋がった」のだと、茂呂さんは言います。
テクノロジーが進歩するとできること
物忘れしない世の中になる??
発達障害の講座でテクノロジー??とお思いになるかもしれませんが、
Mojo Visionという会社の試みについてのお話は興味深かったです。
これは、「コンタクト型VR」と呼べばよいのでしょうか
わたしは、ゲームのステータス画面のようなものを想像しました。
それを、コンタクトのように装着すると、視界の端にステータスが映る。
現実社会のステータスは、レベルや魔法の表記ではありません。
これらが視界の端に映り続ける、あるいは任意に表示できるのならば、「忘れ物をする」というのは、もう障害ではなくなるでしょう。
ひとつ、段差を取り除くように
すべての人が、生きやすくなってゆく
そんな未来が、すぐそこにきています。
なんていうと、「まじかよ??」と思ってしまうわたしがいますが、20年前の日本は「ポケベル、ショルダーフォン、ウォークマン」です。
そう思うと、20年後には「そりゃないよ」ってことが起こっている可能性も、重々に有り得るのです。
メガネが生まれたときのこと
「短所・コンプレックスを科学で克服する」
この話、どこかで聞き覚えありませんか?
そう、Dr.STONEのメガネ!!
スイカの被り物をしている少女は、その被り物を決して取ろうとしません。
その理由は近眼でしたが、この時代の科学では理解のされない”ヤマイ”でした。
それを、科学を使って「メガネ」を作ることで、近眼を克服する。という物語です。
コンタクトやメガネがなければ、わたしの視力も大きな障害だったでしょう。
Dr.STONEは「過去の文明に、現代科学で挑む」という物語ですが
わたしたちも、この物語の過去の文明人のように、科学に驚くような瞬間がこれから訪れていくのでしょう。ありがとう科学。
世界を変えるおとなたち
環境設定をすること
物忘れの多いという茂呂さんが、すべてのバッグに貴重品を入れることで忘れ物を減らしたりとか
朝が苦手なわたしは、朝早い日には前日のうちに着るものと持っていくものを仕込むようにしています。
昭和生まれの同年代の方は、「苦労は買ってでもしろ」とか、なんていうか「ぺちゃんこになって生きていくこと」が美徳とされていたような気がします。
「苦手と向き合う」という言葉は、ネガティブでしょうか。
ただ、わたしたちおとなはもっと身軽に、シンプルに「生きやすくすること」「生きやすくするための手段があること」を受け止める必要があると感じました。
おとなになるということ
茂呂さんの、この言葉にハッとしました。
コンプレックスの塊だった十代
いまでも、「自分らしく生きよう」としながらも、周りと、”普通”と比べてしまう自分がいる。できないことばかり考えてしまう自分がいる。
日本の子どもの自己肯定感が低いという話や、出生率の低さの話も、残念ながら「そりゃァそうだよな」と思ってしまうわたしがいました。
だって、おとなってつまんなそうだった。
帰ってきて、愚痴ばっかり言ってた。
おとなになるって、不自由になることだって思ってた。
そしてきっといま
わたしの姿を見た子どもは、未来に希望を持ってはくれない。
何よりわたし自身が子どもたちに「この世界へようこそ!」って、「素敵な未来にするね」って誓えない。
そう思ってしまうのです。
革命のバトン
茂呂さんは、笑顔で言いました。
きっと、この人の背中を見て育った子どもは、強く優しくなるでしょう。
そしてひとりずつが少しずつ考えてゆくことで、輪は広がってゆく。
それが茂呂さんの革命です。
わたしも革命の一端となりたい。
そんなおとなに、存在になりたい。
そう思える講演会でした。
2020年6月のわたしの夢、まだ覚えています。
2023年10月29日
自分の夢に触れられる講演会でした。
わたしが書いたのは本当に一部です。
「こりゃあ聞きに行きたかったぜ!!」という人は、茂呂さんの著書ぜひ読んでください。わかりやすくまとまっています。
後半戦は、鍼灸マッサージ師のミツルさんとの対談でした。
ミツルさんのnoteはこちら
※対談のこと
※当日の質問のこと
※講演会に向けて、ミツルさんが毎日更新したnote
わたし自身は、ミツルさんの存在と鍼灸マッサージにめちゃくちゃ救われました。
合う合わないっていうのはあると思いますが、選択肢のひとつとしてこれからも広まっていけばいいなあと思います。
鍼灸もマッサージも神様じゃないけれど、「生きづらさ」に寄り添う手が、そこにあるってこと
※ミツルさんのことを書いた話
もっと文章うまくなりたいな!!
もっと書けたらいいのに、というのは、書かない理由にはならないので
いただいたバトンを繋ぐモノとして、その末席として書かせていただきました。
どうかあなたと会えるとき
お互い笑っていられたらいいなって
そういう世界を作りたいなって
ばかみたいですが、本当にそう思っています。
11月1日 松永ねる
※10月29日、帰り道のわたし
※体育が苦手な同士へ
※わたしが受け取ったバトンのひとつ
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