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今ならカボチャも作れるから 〜逆上がりができなかった頃のわたしへ〜

流行りの、スイカゲームってやつをダウンロードした。

同居人が好きそうだなァと思って、「やってみる?」と相談したら、「やりたい」と言うので買ってあげた。
わたしはなかなか良いヤツなのである。
(正直なところ、十余年も一緒にいるのに、この男が何で喜ぶか未だよくわからないので、わかったときには喜ばせるようにしている。価格240円)

溶けるような時間の中で、同居人はスイカの制作に成功した。
スイカゲームとは、スイカを作るゲームなのである。
そして、なかなかスイカを作るのは難しいゲームなのである。

しばらくののち、コントローラをこちらに傾けながらこう言った。
「やってみる?」




「やってみる?」が苦手だった。

子どもの頃、近所で和太鼓の教室みたいなのがあって、兄とか友達がやっていたのだけれど、わたしは一度もバチを握らなかった。
あのときも「やってみる?」と何度も声を掛けられたのに、最後までできなかった。
やりたくなかった、というよりも、「自分にはできない」と思っていたのだと思う。

得意なことが少ない子どもだった、というと、当時を知る人たちには「違う」と言われてしまうかもしれない。
1学年が1クラスしかない小さなコミュニティ(小学校)で育ったわたしは、勉強はできるほうだった。
保育園時代には友達のケンカを仲裁していたらしいので、頭を使うことは得意だったのかもしれない。読書感想文も得意だった。
ピアノ教室の娘なのに、ピアノを弾ける子の中ではいちばんへたくそだった。

運動は苦手で、逆上がりも後転も二重跳びも、最後までできなかった。
絵を描くことも、裁縫も
たぶん、勉強以外のすべてが苦手だった。

上手い子は最初から平然とできることが、わたしはできなかった。
上手い子はいつも同じで、わたしはずっと下手だった。
それを、恥ずかしいことだと思っていたので、できないことはやりたくなくて、恥ずかしい思いをしたくなくて、バチを握らなかった。
子ども時代のわたしはたぶん、ずっと恥ずかしかったのだと思う。


「やってみる」と答えたのは、勇気であり、成長だった。
10年くらい前のわたしだったら、絶対にやらなかったと思う。
どうして下手で、恥ずかしくて、イラつく思いを率先してやらなければいけないんだろうって
そんなふうに言葉にしなかったけれど、気持ちはずっとそんなふうだった。

おとなになってようやく、「最初からできる」のではなくて、「できるようになる」ということを知っていったのだと思う。
だって子どもの頃はあんなにも、最初から明暗が分かれていて、学校の成績だって、50メートル走のタイムだって、多少の差はあっても、だいたい順位は同じだったじゃないか。
でも、世の中はそうじゃないって
そんなふうに思えるまで、ずいぶんと時間がかかってしまった。

頑張ったんだよ、逆上がり。でも、最後までできなかった。
頑張り方もわからなかったし、少ないコミュニティではできない人のほうが少なかった。
二重跳びも、スキップも
みんなができること、わたしだけできなかったよ。
絵を描くことは、下手なのが恥ずかしくって、嫌いになっちゃったね。
なんてダメなわたしなんだろうって、「わたしは劣等感のカタマリだ」って、本当にそう思っていたね。


その夜わたしは、コントローラを握った。
ゲームも練習だ、っていうのも最近気がつけた。
大乱闘スマッシュブラザーズも、最初は大嫌いだった。何度やっても負けてしまうから。
基本動作である”スマッシュ”を理解するまで、ずいぶん時間がかかってしまった。みんなは当たり前にできているのにできなくて、ひとりプレイモードで人よりもたくさん練習した。
今では「スマブラやろうぜ」って気軽に言えるし、今でも個人練習は欠かさないようにしている(友達と家で遊ぶ予定なんかが決まると、コソッと練習している。だってへたくそだから)

だから、スイカも作れるかもしれない
っていうか、作れなくてもいいや。っていうふうに、思えるようになっていた。
できないことって、言うほど恥ずかしくない。
大人になると、何かが鈍感になって、それが生きやすさなのかもしれない。
”とりあえず”一回やってみたら、メロンまでは作れた。
メロンはスイカの次にエライやつなので、思ったより悪くない成績だった。

ハロウィンを目前にして、スイカゲームが「カボチャゲーム」にアップデートしてることを知って、早速やってみた。
季節限定のカボチャ、ぜひ作ってみたいなぁと思っていたら、数回目で作れた。

劣等感のカタマリだったころのわたしに、
って言ったら今でもそうだけれど、でも、和太鼓のバチが握れなかったわたしに、逆上がりができなかったわたしに、伝えてあげたい。
「今なら、カボチャも作れるよ」なんてね。
やってみたら案外難しくないことも多いよ、って。
いや、やっぱり人よりも上手にできることとか、初回で平均値を叩き出せる科目は少ないかもしれない。
でも、できないことの中にも、できるようになることもあるって。
それをいま、誰かが「当たり前のこと」って言うかもしれないけれど、当たり前じゃなかったころのわたしへ。

逆上がりとか、二重跳びとか、最後までできないこともあるかもしれないけれど
そうではないことも、きっとあるから。
何を選んで、はじめて、続けてゆくのか
これからもどうか身軽に、選び続けて欲しい。

2023年10月28日 ねる

来年のカボチャの季節に
もしもわたしが、劣等感に泣いていたならば
「カボチャだって作れたでしょう?」って、励まして欲しい。



2021年1月1日に書いたこの文章を、読み返す勇気はないけれど
ブーメランを10,000回投げた男に感動した理由が、いまわかったよ。


この記事にも救われました。
発達障害と体育のお話で、他人事じゃないな。って思った。
わたしも体育は地獄だったけれど、いま許してもらったような気がしています。



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