洗濯とティッシュ
松永爆睡(水墨画風のイントネーションで読んで欲しい)の二つ名を持つわたしだけれど
最近は、ほんとうによく寝る。
仕事から帰って、といっても
働いている時間は、7時間前後くらいなので全然長くない。
長くないのに、帰ってきたらもう全然だめで
それって眠いだけなのか、頭痛なのか、持病なのか、やる気が起きないだけなのかもうわからない。
とにかく少し休んで、ばんごはんを食べて
そうしたらもう動けない。
少しソファーに沈もうとかいうレベルじゃなくて、ベッドに倒れている。
そして朝。
何もしないで眠った日は、朝5時くらいに目覚ましを鳴らすようにしている。
ストレッチをして、お風呂に入って、ピアノを弾いてエッセイを書いてから出社する。
合間に、時間があったら家事をする。
掃除と、洗濯。
今日は時間がなさそうだし、なんだか身体が重たい。
洗濯は今晩かなァ。
でも、今晩もどうせ寝ちゃうんだろうなあ。
じゃあ、明日の朝かなあ、なんて思いながら洗濯カゴを覗いたら、なんだかたくさん入っていた。
前に洗濯をしたのは一昨日の夜だから、そんなにたくさん入っているわけがない。
わかっている。
でも、多く見える。
なんだか、溢れている。
そしてわたしは、少し悩む。
*
結局のところ、どちらでもいいのだと思う。
洗濯は、してもしなくてもいい。というところに帰着したい。
わたしは、洗濯をするほうを選んだ。
それってある意味では立派だけれど、
時間がないのに無理をしたとか、自分を甘やかすことに失敗した。とか、そういう見方もできる。
だから、どっちでもいいんだと思う。
たぶん、晴れやかな気持ちで決断できることが大切なんだと思う。
「よっしゃやっちゃお!」とか
「い〜〜〜や、サボろう! 頑張れ未来のワタシ!」とか
笑って決められたなら、それがいちばんいいと思う。
結局、干す時間がなくなっても
「うっひょ〜やっちまった」と思うのか
「また同じ過ちを繰り返した…もうやだ」と唇を噛むのか
ああ、わたしはまぬけな前者を選びたい。
選びたいのに、自分への期待が抜けなくて、
落ち込んで、ばかだなあ。と思う。
*
ばかだなあ、ということを考えてる。
日常の悩みが、つらつらと重なるような、最近はそんな日々だった。
それこそ、箱に入ったティッシュみたいに、何枚も何枚も重なって、ぎっしりと詰まってしまった。
ああ、すべてのティッシュを部屋にぶちまけたい。
問題なんて解決しなくていい。
解決しようと行動できるような
または、解決しなくとも生きていけるような
強さと、やさしさをください。
ください、というのは勝手なので
手に入れたい、と思っていたことを覚えて、今日は眠ってください。
どうか「強くも、やさしくもなれなくて」と落ち込まないでください。
なんで落ち込むのはそんなに得意なんだよ、びっくりするわ。
でも、本当にダメになったらさ
すべてのティッシュを、部屋にぶちまけていいよ。
「ホリー・ガーデン」の果歩ちゃんは、バスルームにお皿を割るでしょう?
あれはさ、やると片付けが大変だから。
ティッシュくらいなら、いいよね?
※悩みについて、もうちょっと違う角度で向き合いたいひとへ
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