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言葉の線引き

「で、マツムラからの電話なんだったの?」

同居人との冷戦が終わり、共通の友人からかかってきた電話について、突っ込まれた。

一緒に住んでいる、空間はそんなに仕切られていない暮らしなので、電話をするときには一声かけるようにしている。
そうじゃないと、誰に話しかけているのか、よくわからなくなるからだ。
キッチンから声をかけられている、と思ったら、知らないあいだに同居人が電話をしていた、話しかけている相手がわたしではなかった。ということがあってから、このルールを徹底している。

「電話で話したいって言われたから、電話するね」と一声かけて、わたしは煙草に火をつけた。
電話するような相手は、共通の友人知人しかいないので、「マツムラと電話するね」と、なんとなくお互いに言うようにしている。
マツムラが「センシティブな内容なんだけど、」と切り出した話は、冷戦とかさておき、同居人に聞かれたくない内容だった。
わたしは、つけたままの煙草を手に持ち、家の外に出た。



冷戦状態だったので、そのときは電話の内容を聞かれたりしなかった。
「そういえば、」と思い出して、今頃になって訊かれた。

わたしは、瞬間の判断で、両手をクロスしてバツ印を作った。
答えたくない、の意思表示。
「ふうん、そっか」と言われて、それ以上訊かれることはなかった。



バツ印をキープしたまま、わたしはしばらく考えた。
言っても、いいのかもしれない。
マツムラの名誉のために言うけれど、マツムラは全然悪くなくて、いまの状況において、たまたま”センシティブ”な問題だった、ということだ。

話してしまうことで、同居人の古傷を抉ることになるかもしれない。

いや、言ってしまっても大丈夫”かもしれない”。
言ってしまおうか。
「そっか」と言った声は、やっぱり少し寂しそうだった。

いや、でもこの「言いたい」という気持ちは、わたし本位だ。

わたしが、「黙っているのが苦しい」ので話すだけであって、
それは「同居人の古傷を抉るかもしれない」という、その危険性だったり、同居人の気持ちを無視することになる。
要件は、もう片付いている。
相談することも、報告する必要もない。

「わたしが、苦しみたくないから」という理由で話すのは、やっぱり違う。

数秒間キープした手を、ゆっくりと下ろして、そう結論づけた。



きっとわたしは、この出来事をすぐに忘れる。
万が一、同居人の傷が抉られてしまったら、尾を引くかもしれない。
そしてこれは、わざわざ引っ剥がす必要のないものだ。

言わなくていい、正解だった。

隠し事はつらい。
同居人は「なんでも話して」と言うけれど、わたしはいつも、言葉を選ぶ。
大事にしたい。
わたし自身も、同居人のことも。

究極に「傷つけない」方法を選ぶには、「関わらない」のがいちばんだ。

思い出の中で好きな人を、
やっぱり、思い出の中だけで嫌いになることはできない。
関わらないのが、いちばん安全だ。

そうして距離を置きすぎると、大切な人も「どうでもいい人」になってしまう。
その線引きは、いつだって難しい。
大切で、あればあるほど



わたしは毎日、言葉を選ぶ。
線を引く。
正しいかわからない。
自分の感情以外は、全部空想だ。ファンタジーだ。
それでも、相手を精一杯思いやる。
間違える。
でも、ひとりでは生きていけない。

そんなに難しく考えなくていいのだろうけど、ときどき、そんなふうに思う。

今日の判断が、正解かどうかは、わからない。
同居人は、話しを聞いても傷つかなかったかもしれないし、これは「受けるべき傷」になったのかもしれない。

わからない。
けど、
悪くない判断をした、と自分では思っている。




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