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むくむくと、もくもくのとなりで

春霞、という言葉を覚えた。

春の空は、煙っている。
ついこのあいだまで夜空を照らしていたオリオンも、シリウスも西の空に沈んで見えない。
沈んでいるかも、うまく確認ができない。

春はさわやかで、ときおりけだるく
気温はそれぞれなのに
不思議とずっと、空は煙って、星は見えなかった。

ある日、星が見えた。
諦めたような癖で見上げた、そのときだった。

冬の星座たちが沈んだということは、春の星座が昇ってきている。
春の大三角、
北斗七星を孕む春の大曲線
しし座のレグルスの場所も、まだ覚えていない。

むしろ、シリウスという一等の輝きを失った夜空で
わたしはいくつの星を捕まえることができるだろうか。
星は好きなのに、目は悪い。

ああ、春の星を覚える前に、空が晴れてしまった。

そう思ったのは一瞬だった。
ほんとうに、ほんの瞬間だった。

すぐにむくむくと、わくわくし始める前向きさは、まぬけさにも似ていて呆れもする。
でも、良いことだと思う。

星座の数が決まっていると言うのならば
星を知らないわたしは、これから幾つも覚えることができる。

それはすばらしく、幸運なことに思えた。
まぬけなほどに。

北海道から、小さな星座盤が届いた。
部屋のどこかに、双眼鏡もあるはずだ。
わたしが家族と、家族になる前に、憧れていた頃に贈った双眼鏡。
一度も使っているところを見たことはないけれど。
憧れが消えて、愛情が形を変えても、双眼鏡はそのまま残っているはずだ。

コンタクトだって、度数を上げたっていい。
面倒でそうしていないだけ。
ああ、そういえばメガネは最近度数の調節をしたんだった。
コンタクトより、メガネのほうが視力が良いかもしれない。

むかし、星を見に行った川辺に行ってもいいかもしれない。
もうきっと、ひとりでも平気なはずだ。

たぶんずっと、ひとりで平気だったんだと想う。
友達の、その気配さえ感じていれば、いつでも電話ができる、とその気持ちひとつあれば、平気だったんだと思う。
人生にはときどき、ひとりでは平気でいられない。という顔をするときがある。
でもそれはほんの一瞬で、すぐに過ぎ去る。
少なくとも、わたしの場合は

今月はそう何度も、プラネタリウムに足を運べないかもしれない。
でも何かを頑張るなら、プラネタリムに行くことでもいいような、そんな気もしている。
ああ、シーツを洗うことでも良いかもしれない。
花屋に少しだけ多く通うことでも
久しぶりのメッセージを飛ばしてみることでも
ほんとうに、なんでも

なんでも、と思ったらずいぶん身軽になった。

今日はこれから、春の星座を指で辿るつもりだ。






※春霞、という言葉があるらしい。

※一度だけ、星を見に行ったことがある。


※now playing


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