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星の夜

一度だけ、星を見に行ったことがある。

言葉ほどたいそうなものではなかったけど、
「星を見るため」に夜中、家を出たのはあの一度きりだった。

もう、7,8年ほど前になるだろうか。
自暴自棄になって、居候生活をしていたころだ。
季節はちょうど、今くらいだったと思う。

当時はいまほど、「○○日は流星群!」みたいな内容がトレンドになっていなかったのか
「流星群の日に、見頃な天気」であることがめずらしかったのか
記憶は曖昧だったけど、「今日はめったにないチャンスだ!」と意気込んだことを覚えている。

居候先に帰って、「星を見たい」と告げた。
傷を舐め合うような、やさしい居候生活だった。
少なくとも、わたしはたくさんやさしくされていた、というふうに記憶している。

もこもこに上着を羽織らされて、連れ立って家を出た。
そのひとはギターを持って、わたしはタンブラーにあたたかい飲み物を淹れて

このときわたしは、何を飲んだのか
そのひとがギターで何を弾いていたのか
家の近所だったけど、どこへ連れて行かれたのか
わたしはまったく覚えていない。

ごろんと転がって、空を見つめた。
流れ星は、あんまり見つけられなかった。

ただ、
ずいぶんと真っ暗で
うんと寒くて
信じられないくらい透き通っていて
空がずいぶんと遠かったことを、覚えている。

いまでもときどき、そのことを思い出す。
特別に幸福な出来事だったかと言われれば、たぶんそうではないのだけれど
居候という、なんだか片足立ちをしているような期間の出来事だったから、やさしい記憶を後押ししているということは、想像に難くない。

あれは、めずらしく「夢を叶えた」記憶だからだろう。
いまでは、そんなふうに思う。

いまよりうんと、首を絞めるように、きりきりと暮らしていた。
欲しがりません勝つまでは、みたいな、強迫観念があった。
この家に転がり込む前のわたしは、恋人に「旅行に行こう」と誘われたけど、「お金がないから行けない」と断ったところだった。
財布に、数千円しか入っていなかった。
「お金は気にしなくていいから」と言われた、肩身の狭い旅行があって
欲しがれない、欲しがってはいけないわたしは、この身ひとつの自由だけを求め、恋人を捨ててこの家に逃げてきた。

大学生になってひとり暮らしをするとか、バンドをやるとか、ライブハウスで働くとか、CDを作るとか、
当時のわたしは結構な夢を叶えてきたはずだけど
そう、それとはちょっと違う、別次元の

切ではない願い。
「絶対にやるぞ!」という目標とは異なり
「いつか、行けたらいいね」みたいな、「死ぬまでに行けたらいいね」みたいな淡い約束の場所に、うっかりとすぐ旅立ててしまった、あの幸福は

いまでも、何にも代え難いものだ、と思っている。




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