むくむくと、もくもくのとなりで
春霞、という言葉を覚えた。
春の空は、煙っている。
ついこのあいだまで夜空を照らしていたオリオンも、シリウスも西の空に沈んで見えない。
沈んでいるかも、うまく確認ができない。
春はさわやかで、ときおりけだるく
気温はそれぞれなのに
不思議とずっと、空は煙って、星は見えなかった。
*
ある日、星が見えた。
諦めたような癖で見上げた、そのときだった。
*
冬の星座たちが沈んだということは、春の星座が昇ってきている。
春の大三角、
北斗七星を孕む春の大曲線
しし座のレグルスの場所も、まだ覚えていない。
むしろ、シリウスという一等の輝きを失った夜空で
わたしはいくつの星を捕まえることができるだろうか。
星は好きなのに、目は悪い。
*
ああ、春の星を覚える前に、空が晴れてしまった。
*
そう思ったのは一瞬だった。
ほんとうに、ほんの瞬間だった。
すぐにむくむくと、わくわくし始める前向きさは、まぬけさにも似ていて呆れもする。
でも、良いことだと思う。
星座の数が決まっていると言うのならば
星を知らないわたしは、これから幾つも覚えることができる。
それはすばらしく、幸運なことに思えた。
まぬけなほどに。
*
北海道から、小さな星座盤が届いた。
部屋のどこかに、双眼鏡もあるはずだ。
わたしが家族と、家族になる前に、憧れていた頃に贈った双眼鏡。
一度も使っているところを見たことはないけれど。
憧れが消えて、愛情が形を変えても、双眼鏡はそのまま残っているはずだ。
コンタクトだって、度数を上げたっていい。
面倒でそうしていないだけ。
ああ、そういえばメガネは最近度数の調節をしたんだった。
コンタクトより、メガネのほうが視力が良いかもしれない。
むかし、星を見に行った川辺に行ってもいいかもしれない。
もうきっと、ひとりでも平気なはずだ。
たぶんずっと、ひとりで平気だったんだと想う。
友達の、その気配さえ感じていれば、いつでも電話ができる、とその気持ちひとつあれば、平気だったんだと思う。
人生にはときどき、ひとりでは平気でいられない。という顔をするときがある。
でもそれはほんの一瞬で、すぐに過ぎ去る。
少なくとも、わたしの場合は
*
今月はそう何度も、プラネタリウムに足を運べないかもしれない。
でも何かを頑張るなら、プラネタリムに行くことでもいいような、そんな気もしている。
ああ、シーツを洗うことでも良いかもしれない。
花屋に少しだけ多く通うことでも
久しぶりのメッセージを飛ばしてみることでも
ほんとうに、なんでも
*
なんでも、と思ったらずいぶん身軽になった。
今日はこれから、春の星座を指で辿るつもりだ。
※春霞、という言葉があるらしい。
※一度だけ、星を見に行ったことがある。
※now playing
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