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いいじゃないか。 泣きたいときは、ビショビショ泣いたって

「わかってるんだ。でも、悲しいし、悔しいよ」
わたしはそう言いながら、大粒の涙を落とした。

ちょっと不安なことがあって、同居人に相談した。
もともとは相談するつもりじゃなくて、「こんなことがあったんだよ〜」と話したかっただけだった。

相手を不安にさせるから、相談はしたくない。
かつてのわたしは、強くそう思っていた。
この気持ちが強くなればなるほど、何も話せなくなり、結局のところひとりで決めてしまい、相手が「どうでもいいひと」になってしまう。
その結末にも気が付きながら、わたしはバランスを保とうとしていた。

今日も、相談のつもりじゃなかった。
結果報告みたいなつもりだったけど、「それはよくないね」と、一緒に考えてくれた。

どうすべきかは、見えている。
わたしがすべきことは、わかっている。

何度も同じ言葉を、繰り返す。
そうだよね、と言う。

繰り返される言葉の中、わたしはひとつの答えを見つけた。
なぜ、わたしが「どうすべきか」わかっているのか。
そこにはわたしの信念があって、「家族と友達を大切にすること」だと思う。
わたしは、家族と友達に胸を張れないことをするべきではない。
大切にしてもらっているその愛情に、わたしは誠意を持って答えるべきだ。
だから、やるべきことはわかっている。

そう思ったら、スッと納得できた。
だけど、涙は止まらなかった。

事象に対しての悲しさや悔しさは、それとは別の次元だった。
何度も言うけど、悲しみは相殺されない。
「こうすべきだ」とわかったところで、悲しくなくなるわけではない。

わたしは、ぼろぼろと涙を落とした。

「わかってるんだ。だけど悲しみをコントロールできないよ」

わたしが「同居人の前で泣く」ということは、「しっかりと泣く」ことだと思う。
そしてそれを、長らく避けていた。

なんとなく悲しくなるのは夜だし、夜は同居人がいたり、いつ帰ってくるかわからないし
わたしはめそめそと、枕に涙を落とす日々を過ごしていた。

だいたい「やるべきこと」はわかっている。
それをやればいいだけなんだ。
誰かに話すほどでもない。
心配をかけるほどじゃない。
青い枕カバーに、涙の海を広げていた。

しっかり泣いて眠ったら、ずいぶんとスッキリした。
ふしぎなほど、スッキリした。

涙の海は、翌朝もわたしの心を侵食していることが多かったけれど、枯れるようにたくさん涙を流したら、海はもう消えていた。

泣いたって変わらない、そんなふうに思っていたけれど。

すなおに吐き出してみることもいいかもしれない。
わたしは言葉にすることで、大切なことを見つけた。
一緒に考えてくれる人がいるって、心強かった。
泣くことは格好悪いことじゃないし、別に後ろめたくなかった。
悩みも悲しいことも、みんなある。

いいじゃないか。
泣きたいときは、ビショビショ泣いたって。

そう思えたら、ずいぶん身軽になれた。
わたしは見つけた「進むべき場所」に挑むだけ
不安はあるけど、何もしないほうが不安だし、不義理なのはよくない。と思っている。

そしてまた、うまくいかないことがあっても
また、ビショビショ泣いて、涙の海に落として

ばかのひとつ覚えみたいに繰り返しながら、
少しずつ、たくましく、そしてすこやかであれたらいい。
いまは、そんなふうに思っている。



【photo】 amano yasuhiro
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